第一次世界大戦におけるイタリアの「裏切り」って何のこと?

第一次世界大戦に関するQ&A

第一次世界大戦におけるイタリアの「裏切り」って何のこと?

第一次世界大戦におけるイタリアの「裏切り」とは何のことですか?

第一次世界大戦におけるイタリアの「裏切り」というのは、イタリアが途中で三国同盟を破棄して、三国協商側に寝返ったことを指します。この「裏切り」の背景について詳しく述べれば、19世紀にイタリア半島全域で展開されたオーストリア支配からの解放を目指すイタリア統一運動まで遡ることができます。

 

裏切りの動機は「未回収のイタリア」

イタリア統一運動の結果、史上初めて「イタリア」といういイタリア人による統一国家が成立したわけですが、南チロル・イストリア・ダルマチアといった地域は「未回収のイタリア」として依然オーストリアの領土のままでした。この「未回収のイタリア」奪還は、イタリア王国成立以来、ずっと一貫して残された課題で、そんな中やってきたチャンスが第一次世界大戦だったのです。

 

1915年、イタリアは協商国(連合国)と「未回収のイタリア」の一部割譲を約束したロンドン協定に署名し、三国同盟離脱を宣言した後、オーストリアに宣戦布告。北イタリアを舞台に戦闘が繰り広げられ、イタリア優位の「ヴィラ・ジュスティ休戦協定」にて終結。未回収のイタリアの大部分を奪還することに成功しました。

 

オーストリアに対するイタリアの勝利を決定づけたヴィットリオ・ヴェネトの戦いの後、トレントに滞在するイタリア騎兵隊

 

しかし、勝利の喜びは長く続きませんでした。ヴェルサイユ条約の交渉の結果、ダルマチアは新設されたユーゴスラビア王国に割譲されることになりました。さらに、イタリア人民間では多大な人的・物的犠牲を払って得た領土が期待ほどの利益をもたらさなかったことに大きな失望感が広がりました。これらの状況は「裏切られた勝利」と呼ばれ、戦後のイタリア社会の混乱を引き起こし、結果的にはムッソリーニのファシスト政権の台頭を助けることとなります。

 

ファシズムの台頭

第一次世界大戦後のイタリアは、経済的混乱や政治的不安定性が深刻化し、さらに「裏切られた勝利」による民衆の不満が高まりました。これらの状況が組み合わさって、1922年にはベニート・ムッソリーニが首相に就任し、その後のファシズム政権の成立を引き起こしました。

 

その結果、第二次世界大戦時にはムッソリーニ政権下のイタリアが枢軸国側として参戦。しかし、1943年に連合軍がイタリア南部に上陸し、翌年にはムッソリーニが逮捕され、政権は崩壊。イタリアは連合国側に転じ、枢軸国の一部としての戦争は終わりを告げました。

 

こうして、第一次世界大戦の「裏切り」から始まったイタリアの戦間期と第二次世界大戦は、その後のイタリアの歴史を大きく塗り替えることとなったのです。