北マケドニアの社会問題

北マケドニアは南ヨーロッパに位置する共和制国家です。ユーゴスラビアからの独立にともない成立した、宮殿や城塞をはじめとする歴史建築物が魅力の国ですが、以下のような社会問題も抱えています。

 

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国名問題

北マケドニアは、1991年のユーゴスラビアからの独立時、かつてその領土が古代マケドニア王国の中心地であったことを根拠に、自国の国名を「マケドニア」と命名しました。しかし同じく古代マケドニアの中心地を領土に持つギリシャがこれに抗議。経済制裁を科すなどし国際問題に発展したのです。2018年にマケドニアが「北マケドニア共和国」と改名したことでようやく解消をみました。

 

外交問題

2008年、北マケドニアはセルビアが領有を主張しているコソボの独立を承認したため、セルビアから抗議を受け、セルビア駐在マケドニア大使を国外追放処分されています。

 

民族問題

北マケドニアは人口の2~3割程度をアルバニア人が占めており、政治への影響力は少なくありません。そしてアルバニア民族主義者が主張する、「アルバニアの本来の領土」の範囲には北マケドニアの西半分というかなりの範囲が含まれており、政府は大アルバニア主義の台頭で自国の統一が脅かされることを警戒しています。