第一次“世界”大戦とはいうものの、主な戦闘はほとんどヨーロッパで行われていました。ヨーロッパ諸国は多額の戦費を費やしたことで、敗戦国はもちろんのこと、戦勝国も経済的深手を負っています。
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第一次世界大戦後、ヨーロッパは戦後の復興と経済的混乱の中にありました。敗戦国ドイツはヴェルサイユ条約により多額の賠償金を課せられ、ハイパーインフレーションが発生し、経済が崩壊寸前に陥りました。一方、戦勝国であるフランスやイギリスも戦争による借金で経済的な苦境に立たされました。
この時期、各国は経済復興のために努力し、アメリカからの援助や国際協力を通じて徐々に安定を取り戻しました。しかし、政治的不安定や社会的混乱が続き、経済成長は一時的なものでした。
1924年頃から始まった相対的安定期には、ヨーロッパ諸国は経済的に回復し、平和協調のムードが広がりました。ドーズ案やヤング案などの国際的な経済支援策により、ドイツの経済も復興し始めました。また、アメリカの投資がヨーロッパに流れ込み、経済成長が促進されました。この期間、文化的にも大衆文化が花開き、都市の繁栄が見られました。
しかし、この安定期は長くは続きませんでした。1929年の「暗黒の木曜日」に始まる世界恐慌が、再びヨーロッパを混乱に陥れます。
1929年の株価大暴落に端を発する世界恐慌は、ヨーロッパ経済に深刻な打撃を与えました。多くの企業が倒産し、失業率が急増し、経済は停滞しました。各国は自国産業保護のためにブロック経済体制を採用し、貿易障壁を設けて他国との経済関係を制限しました。
これにより国際協調のムードは崩壊し、経済的な孤立主義が広がりました。特に、経済的に持たざる国々では、社会不安が増大し、ファシズム勢力が台頭しました。ドイツではアドルフ・ヒトラー率いるナチス党が権力を掌握し、再軍備と侵略政策を推進しました。
経済的な混乱と社会不安の中で、ファシズムは多くの国で支持を集めました。ドイツやイタリアだけでなく、スペインや東欧諸国でもファシスト政権が成立し、独裁的な統治が行われました。これにより、ヨーロッパ全体で軍事拡大と侵略が進み、国際関係は緊張しました。
その帰結が、1939年のナチスドイツによるポーランド侵攻であり、戦間期の20年間の平和は終わりを迎え、ヨーロッパは再び世界大戦に突入することとなったのです。
以上のように、戦間期のヨーロッパ経済は、戦後復興から相対的安定期を経て、世界恐慌による経済混乱とファシズムの台頭へと展開し、最終的には第二次世界大戦への道を開きました。これらの歴史的な動きは、現代の国際経済や政治に多くの教訓を残しています。
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