オスマン帝国が衰退した理由は?

かつてヨーロッパ・アジア・アフリカで強盛を誇ったオスマン帝国が衰退した理由はなんですか?

オスマン帝国は1299年にアナトリア北西部の小国として成立して以来、破竹の勢いで領土を拡大し、16世紀末〜17世紀前半頃には、アナトリアだけでなくバルカン半島全域やエジプトまで支配下に治め、アジア・ヨーロッパ・アフリカにまたがる大帝国を築き上げました。

 

この時代のオスマン帝国は西方キリスト教世界にとって、東方に立ちはだかる最大の脅威で障壁であったために、西方の大海原へと目を向けるきっかけとなり、大航海時代の開幕に繋がるなど、歴史にも重大な影響を与えています。

 

しかし17世紀後半からは帝国の衰退が始まり、19世紀には産業革命で次々と近代化を遂げていく西欧諸国の後塵を拝するようになります。

 


ロシアのオスマン帝国に対する優位が確定した第二次露土戦争(1787〜1791年)

 

そして18世紀の成立以来、南下政策で圧力を強めるロシア帝国との戦争にも敗れ、近代化の改革にも失敗した末、19世紀には長らくライバル関係にあった西ヨーロッパ諸国の経済援助に頼らざるを得なくなり、「ヨーロッパの病人」とまで揶揄されるようになりました。状況打開を図り第一次世界大戦へ参戦するも惨敗し、戦後の混乱の中で帝国は崩壊していくのです。