清教徒革命

清教徒革命(ピューリタン革命)とは1640年から1660年までにイギリスで起こった市民革命です。その実はイングランド国内における議会派と国王派の内戦ですが、清教徒(ピューリタン)が主導した運動であったことからこのように呼ばれています。チャールズ1世の強権的な専制政治に対する国民の反感が発端とし、王政の廃止を始めとする様々な改革が行なわれました。

 

清教徒革命の影響

チャールズ1世はピューリタン一派の長老教会主義を国教としていたスコットランドにイングランド国教会を強制しようとし、このことが反感を呼び武力闘争に発展。清教徒革命の幕が上がりました。序盤は国王派が優勢でしたが、鉄騎隊率いる議会派のクロムウェルの活躍で戦況が変わり始めます。そして1645年のネーズビーの戦いで議会派が国王軍を破ったことで、第一次内乱は終結。1649年、チャールズ1世が処刑されるとともに王政が廃止され、イングランド史上初の共和政が成立しました。

 

清教徒革命のその後

1651年公開法の発布がきっかけとなり第一次イギリス=オランダ戦争が勃発。これにより議会と軍が対立し紛糾しましたが、53年クロムウェルは武力で議会を解散させ、統治章典によって護国卿となり、独裁的な支配体制を確立しました。しかしその強権的な支配体制が国民に不評だったため、クロムウェルの没後イングランドは再び王政に戻っていったのです。

 

 
ページの先頭へ戻る