イタリア王国の首都はどうしてトリノだったの?

イタリアが統一された1861年に首都とされたトリノが選ばれた理由は、その歴史的、政治的な背景が大きく関係しています。イタリア統一の主導者であったサルデーニャ王国の首都であったからこそ、トリノがイタリア初の首都として位置づけられたのです。

 

 

サルデーニャ王国とイタリア統一

19世紀半ばのイタリアは、いくつかの小さな国家が分裂した状態でした。その中で最も影響力があったのが、北西部に位置するサルデーニャ王国で、その首都がトリノでした。当時のサルデーニャ王国はリソルジメント(イタリア統一運動)の中心となり、統一運動の主導的役割を果たしました。このため、イタリア王国が成立した時、初代のイタリア国王にはサルデーニャ王国の王であったヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が就き、首都もそのままトリノが選ばれました。

 

トリノからフィレンツェ、そしてローマへ

しかし、トリノがイタリアの首都であった期間はわずかな時間でした。当時のイタリアはまだローマを含む中央部と南部が教皇領や両シチリア王国として独立していました。イタリアが全土を統一するためにはこれらの地域を併合する必要があり、それが完了した1865年に首都はフィレンツェへと移されます。そして1870年、ローマがイタリアに併合されたことで、首都は現在のローマへと移りました。

 

結局、トリノが選ばれた理由はその地がイタリア統一運動の中心であったから、という歴史的な事情と、サルデーニャ王国がイタリア統一を主導したという政治的な事情によるものでした。そしてその後の首都の移動は、イタリア全土の統一という国家の目指す方向に基づいて行われました。トリノ、フィレンツェ、そしてローマへの首都の移動は、イタリアの統一が進行する過程を物語っています。