フリードリヒ1世とは何をした人?〜イタリア政策を重視〜

フリードリヒ1世

 

フリードリヒ1世の基本情報

 

渾名:赤髭王(バルバロッサ)
誕生:1122年ハーゲナウ
死没:1190年キリキア・アルメニア王国
在位:1152年 - 1190年
王朝:ホーエンシュタウフェン朝
政策:イタリア政策

 

フリードリヒ1世はシュタウフェン朝の神聖ローマ皇帝で、とりわけイタリア支配の確立を目的とした「イタリア政策」に力を入れた人物として知られています。「赤髭王(バルバロッサ)」とも呼ばれた彼は、その治世で4度にわたりイタリア遠征を敢行しています。

 

しかし北イタリア諸都市がロンバルディア同盟を結成して抵抗し、教皇もそれを支援したため、征服はなかなか実現せず、最終的にはイタリア諸都市の自治を正式に承認せざるを得なくなりました。結果、自由都市国家に昇格したイタリア諸都市は商業的に繁栄し、ルネサンス文化開化への道筋が引かれたことは歴史的に重要です。

 

フリードリヒ1世の死因

フリードリヒ1世の死因は一言でいえば溺死です。十字軍遠征中に、小アジア南東部キリキアのサレフ河にて、河を馬で渡ろうとした時に流されて溺死したとされています。また他にも河を渡っているとき、馬が物音に驚いて暴れたことで、鎧をつけたまま河に放り出され、鎧の重みで溺死したとする説もあります。

 

溺死以外でも暗殺説もあり、はっきりしたことはわかっていないのが実情ですが、彼の死はイスラム側にとってはこれ以上とない吉報となり、訃報を信じられないキリスト教側では「赤ひげ王(バルバロッサ)は帝国が彼を再び必要とする時までまだ生き続けている」という都市伝説が生まれました。