フィリップ4世の基本情報
生年:1268年
没年:1314年
出身:フォンテーヌブロー
死没地:フォンテーヌブロー
別名:「端麗王」
政策:三部会招集/アナーニ事件/アビニョン捕囚
フィリップ4世(1268年 - 1314年)はカペー朝第11代フランス王で、「アナーニ事件」を引き起こした人物として有名です。その整った顔立ちから異称は「端麗王」。即位後はテンプル騎士団を解散させて、その全財産を没収することで国庫の拡大を図るなど、強引な手法で王権強化・中央集権化に執心しました。
またフィリップは戦争による財政難に対処するため聖職者への課税を行おうとしましたが、これに反対する教皇ボニファティウス8世との間で深刻な亀裂が発生。王は1302年三部会を初めて招集し、世論の支持をとりつけたのち、兵をアナーニに派遣して教皇を暴行・監禁、憤死にいたらしめる「アナーニ事件」を引き起こすのです。
ボニファティウス8世の死後はクレメンス5世が教皇となるも、1309年本拠をアビニョンに移し王の監視下に置かれ「アビニョン捕囚」の時代が始まっています。このような経緯から、フィリップ4世は教皇権の没落とそれにともなう王権の拡大(絶対王政の出現)のきっかけをつくった人物として、歴史的に非常に重要です。
フィリップ4世は初めて三部会を開いた人物として知られます。三部会とは戦争や課税など国の重要議題を話し合うフランス特有の身分制議会で、第一身分の聖職者、第二身分の貴族、第三身分の平民で構成されていました。
最初の召集は、フィリップ4世が戦費調達のため、教会や修道院への課税しようとした為、ボニファティウス8世と対立したことがきっかけ。彼は世論を見方につけるため、パリのノートルダム大聖堂に各身分の代表を召集し、支持をとりつけるとともに、刺客を送りボニファティウス8世を急襲、いわゆるアナーニ事件を引き起こしたのです。
その後三部会は百年戦争期に最も重要性を高めましたが、百年戦争終結後、絶対王政が確立されると、その存在は王の絶対的権力を前に無視されるようになり、1615年以後は170年間開催されませんでした。
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