メルバーン子爵の基本情報
本名:ウィリアム・ラム
誕生:1779年にて
死没:1848年にて
政党:ホイッグ党
政策・実績:政治助言者としてビクトリア女王を支える。
メルバーン子爵(1779年 - 1848年)はイギリスの政治家で、大英帝国最盛期に君臨したビクトリア女王を政治面で支えた人物として有名です。本名はウィリアム・ラム。1828年、没した父の跡を継ぎ第2代メルバーン子爵に、34年から41年にかけてはホイッグ党政権の首相を二度つとめています。
1837年ビクトリア女王即位後は、彼女の政治助言者となり、国家運営において重要な役割を果たしています。その間、18歳と若いうちに重責を担うことになったエリザベスを支え、彼女から父親のように慕われたといいます。
アイルランド貴族メルバーン子爵家の次男としてロンドンに生まれる。
庶民院議員に初当選し、自由党の前身ホイッグ党に所属する。
ホイッグ党から保守党の前身トーリー党に移籍する。
ジョージ・カニング内閣でアイルランド担当大臣に任命される。
爵位を継承し貴族院議員となった。
倒れたウェリントン公爵内閣に代わりホイッグ党政権のグレイ伯爵内閣が成立。
グレイ伯爵の辞職とともに首相となり、第一次メルバーン子爵内閣が成立した。しかし人事をめぐるウィリアム4世との不和により同年中に罷免。
ピール内閣の倒閣に成功し、第二次メルバーン子爵内閣を成立させる。
ヴィクトリア女王が即位し、メルバーンは相談役として彼女に頼りにされるようになる。
選挙法改正をめぐるチャーティズム運動が勃発するも、メルバーンはこれを徹底的に弾圧した。
解散総選挙でホイッグ党が敗れたため総辞職した。
ホイッグ党の政権奪還を見届けたのち、69歳で死去。
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