カリグラとは何をした人?〜妹の死で独裁者に変貌〜

先祖の墓参りをするカリグラ/ウスタシュ・ル・シュウール画

 

カリグラの基本情報

 

本名:ガイウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス
渾名:カリグラ(「幼児用軍靴」の意)
在位:37年 - 41年
誕生:12年アンツィオ
死没:41年ローマ
政策:建設事業推進/領土拡大/政敵の粛清/皇帝崇拝強要

 

カリグラ(12年 - 41年)は第三代ローマ皇帝で、37年先代ティベリウスの死にともない即位しました。初期は建設事業や領土拡大を推進するなど善政を敷いていましたが、途中発狂し、悪政への反発が極まる中での41年、元老院の刺客に妻や娘もろとも暗殺され生涯を終えました。

 

 

カリグラに関するエピソード

小さな軍靴

カリグラとは通称であり、幼いころ父に連れられライン地方の戦場にいた際、小さな軍靴(ラテン語でカリグラ)を履いていたことから、可愛がっていた兵士がつけたといわれています。

 

神を自称

カリグラは自らを神格化し、しばしばヘラクレスやアポロなど神々の姿に扮して公の場に現れました。自分自身を崇拝する神殿を建設し、生ける神として皇帝崇拝を推し進めました。異教徒にも皇帝崇拝を強要したため、エルサレムやアレクサンドリアにおけるユダヤ人の反乱を誘発しています。

 

妹の死で暴君に

カリグラに関する記録には、残忍・狂気・奇異といったものも多いです。治世中重病で精神不安定に陥り、愛する妹ドルシラの死が追い打ちとなり変貌。元老院無視、猜疑心から気にくわない者を次々と処刑する独裁者・暴君になってしまったとされているのです。同時代の文献では気まぐれで人を殺したり、放漫財政で飢餓を引き起こしたり典型的な暴君として語られています。

 

ただこれらには創作や誇張も含まれている可能性も指摘されています。