東欧革命は無血革命だった?

東欧革命は無血革命だったのですか?

確かに東欧革命では、ほとんどの国で、大した流血もなく平和的に共産党支配に終止符が打たれ、民主主義体制への移行が行われました。しかしルーマニアでは、革命により失脚したチャウシェスク大統領夫妻が処刑されていますので、東欧革命が完全な無血革命だったわけではありません。

 

チャウシェスクってどんな人?

チャウシェスクは1965年にルーマニア共産党第一書記長に就任して以降、自分の親族や新派で権力を固め、24年にわたり独裁的権力者として君臨していました。

 

ニコラエ・チャウシェスク(1918 - 1989)

 

政権獲得からしばらくは国民からの支持も高かったものの、80年代より経済悪化によりに人気が低下。それを受け強権的な統治姿勢を強めていきます。

 

東欧革命で失脚、そして処刑

しかし東欧革命で民主化の波が押し寄せると、長年の権力の私物化に対する民衆の怒りが爆発、全国的なデモによりチャウシェスク政権は崩壊に追い込まれたのです。

 

その後、チャウシェスクとエレナ夫人は逮捕され、特別軍事法廷で死刑判決を受けたのち、銃殺刑に処された・・・というわけです。ワルシャワ条約機構加盟国の国家元首で処刑されたのは彼が唯一でした。

 

チャウシェスクはソ連から一定の距離を置く自主独立(親西欧)路線をとり、チェコ事件でもソ連を非難するなど「反ソ連の一匹狼」として西側諸国から一定の評価を受けていたため、処刑後、西側でその死を惜しむ声が少なくありませんでした。