フランク王国最初の王朝はメロヴィング朝(481年〜751年)という、フランク一派サリ族のクローヴィスによる、ガリア全域のフランク諸部族を統一にともない成立した王朝です。王朝名はクローヴィスの祖父で、サリ族の部族長メローヴィスに由来しています。
フランク王国初代王クローヴィス
クロービスは当時ゲルマン人の多くが信仰していたアリウス派からカトリック(アタナシウス派)に改宗し、旧西ローマ帝国貴族の支持を得ることで、王国の基盤を強化。さらに周辺のゲルマン部族を臣従させ、版図を大きく広げました。
しかしクローヴィスの死後、4人の息子に領土が分割されると、勢力範囲を巡り内乱を繰り返すようになり、メロヴィング朝の権威は低下していきます。代わりに、トゥール・ポワティエの戦い(732年)でイスラム勢力を撃退したことを始め、武功を積み重ねたカロリング家の名声が高まっていきました。
そして751年、カロリング家カール・マルテルの子ピピン3世によりカロリング朝が開かれたことで、メロヴィング朝はとうとう滅亡を迎えたのです。
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