
カンナエの戦いで戦死するローマの司令官パウルス・アエミリウス(ジョン・トランブル画)
カンナエの戦いは、紀元前216年8月2日、カンナエで行なわれた、共和政ローマとカルタゴ間の戦いです。地中海世界の覇権を巡り争ったポエニ戦争の戦いの1つですが、この戦いではローマ軍はハンニバルの巧みな戦術により殲滅されています。ローマが戦史上最も苦戦を強いられた戦いの1つです。
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カンナエの戦いを指揮したのは、生涯ローマとの戦いに身をささげ、ローマ史上最強の敵として語り継がれているハンニバル。彼は幼いころから反ローマ教育を受けて育ち、25歳にして将軍に選ばれ、以後ローマ攻略の陣頭指揮を任されていました。カルタゴ軍はそんな若き将軍の指揮のもと、前218年アルプスを超えてローマ領に侵入し、トレビア川の戦い、トラシメヌス湖畔の戦いでローマ軍を撃破するのです。
紀元前216年、カルタゴ軍はアプリア地方のカンナエ付近に進軍。自軍の倍近いローマ兵4万が待ち構えていましたが、巧みな戦術によりローマの裏をかき、圧倒的劣勢の中、これを包囲殲滅することに成功したのです。ローマ側は7万が戦死し、1万人が捕虜となったのに対し、カルタゴ軍の死傷者は7千人程度と軽微なものでした。この戦いの勝利によりハンニバルはイタリア征服に大手をかけ、ローマ中を震撼させたのです。
窮地に陥ったローマは、直接対決ではなく持久戦に持ち込む作戦にシフト。本丸のカルタゴではなく、カルタゴの周囲を攻撃し、補給路を断つことで、相手の息切れを狙いました。そして持ちこたえること14年、作戦が功を奏し、前202年ザマの戦いで、大スキピオ率いるローマ軍がハンニバル率いるカルタゴ軍を破り、ようやく流れを変えることができたのです。ポエニ戦争は最終的にローマの勝利と終わり、地中海世界の覇権を確立しています。
古代の戦争
ラティウム戦争/ペルシア戦争(サラミスの海戦,アルテミシオンの海戦)/ペロポネソス戦争/アッリアの戦い/カイロネイアの戦い/サムニウム戦争/ディアドコイ戦争/イプソスの戦い/ポエニ戦争(カンナエの戦い)/マケドニア戦争/ローマ・シリア戦争/ルシタニア戦争/ヌマンティア戦争/奴隷戦争/ユグルタ戦争/ノレイアの戦い/キンブリ・テウトニ戦争(アラウシオの戦い,アクアエ・セクスティアエの戦い,ウェルケッラエの戦い)/同盟市戦争/ミトリダテス戦争/ガリア戦争/パルティア戦争(カルラエの戦い)/ローマ内戦(ナウロクス沖の海戦)/アクティウムの海戦/エデッサの戦い
中世〜近世の戦争
ローマ略奪/ルーシ侵攻/百年戦争/イタリア戦争/ユグノー戦争/三十年戦争/フロンドの乱/ネーデルラント継承戦争/第二次百年戦争
近代の戦争
アメリカ独立戦争/フランス革命戦争/ナポレオン戦争/イタリア統一戦争/メキシコ出兵/エチオピア戦争/第一次世界大戦/イースター蜂起/アイルランド独立戦争/アイルランド内戦/ロシア内戦/シベリア出兵/スペイン内戦/第二次世界大戦/ホロコースト/北アイルランド紛争/ユーゴスラビア紛争
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