イタリアは伝統的に農業国でしたが、第二次世界大戦後に工業が急速に発展し、工業国に生まれ変わりました。ここでは「鉄の三角地帯」と呼ばれるイタリアの有名な工業地域や重要産業、そしてこの国が工業化を遂げていく過程をわかりやすくまとめています。
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イタリア屈指の工業地帯「鉄の三角地帯」
ジェノヴァやローマの他、北イタリアのミラノ、トリノ、ジェノバを結ぶ「鉄の三角地帯」は有数の工業地帯として知られます。
ミラノはイタリア最大の商工業都市として知られます。イタリアの大企業のほとんどがミラノに集中するなど、イタリアの経済的首都として機能しています。航空機、自動車、ガラス、ゴム、食品、繊維、製紙など、工業分野は幅広いです。中世にはミラノ公国の首都として栄え、毛織物工業や精密工業の中心地でした。
トリノは世界的自動車メーカー・フィアットの城下町として急成長を遂げたヨーロッパ有数の工業都市です。フィアットはトリノのリンゴット工場(現在は閉鎖)で大衆車の生産を開始し、莫大な利益をあげ、戦後イタリアの高度経済成長に大いに貢献しました。
ジェノヴァはイタリアで圧倒的な貨物取扱量を誇る港湾都市として有名ですが、造船、兵器製造、製鉄、精油などがさかんな工業都市でもあります。中世より東方貿易の拠点として栄えていました。
「第三のイタリア(英:Third Italy)」とは、第一のイタリア=北部の工業都市、第二のイタリア=南部の農業都市と対比される、ヴェネツィア、フィレンツェ、ボローニャといった、ルネサンス伝統工業が発達した諸都市(エミリア=ロマーニャ州周辺都市)のことです。
「第三のイタリア」では、工場における大量生産品ではなく、職人の手作りによる、デザイン性に優れた質の高い製品(ガラス製品、革製品、宝飾品、家具など)が主に生産されます。そのため必然的に、その担い手は個人事業者が中心になります。
南北に長いイタリアは昔から、北部の工業地帯(ミラノ、ジェノヴァ、トリノなど)と、南部の農業地帯(ナポリ、シチリアなど)という経済的な色分けで見られていましたが、そのどちらでもない「特産品重視の地場産業」が盛んな地域を指す言葉として「第三のイタリア」という言葉が生まれたのです。
イタリアは多様な工業分野で知られており、特に以下の業界が有力です。
イタリアは自動車産業が強く、フィアット、フェラーリ、アルファロメオ、ランボルギーニといった高級車メーカーが複数存在しています。自動車部品は国内最大の輸出品であり、イタリア経済において自動車産業が占める割合は国内総勢産の1割近くを占めています。ちなみにイタリア車のデザインはエキセントリックと評されることが多く、実用性よりも趣味性が強く出た車が多いといわれています。
機械はイタリアにおける重要部門の1つです。工業従事者の4割がこの部門で働いており、輸出入額の半分近くを機械部門が占めています。イタリアは日本と同じように、エネルギーや鉱物といった天然資源に乏しいので、原材料を輸入して製品を輸出する加工貿易で発展してきたのです。
高品質でデザイン性の高い家具で知られるイタリアは、モダンなデザインと伝統的な職人技術が融合した製品で有名です。特に北部のブリアンツァ地区は、家具製造の中心地として知られています。
オリーブオイル、ワイン、チーズなど、伝統的な食品製造もイタリアの重要な産業の一つです。イタリアはその地域ごとの独特な食文化と製品で世界中にその名を知られています。
イタリアの工業化は19世紀後半に本格的に始まりましたが、その過程は他の西欧諸国と比べて独特の経緯をたどりました。ここでは、イタリアの工業化の主な歴史的フェーズを概観します。
イタリア統一後の1861年に始まるこの時期は、国家としての基盤を固めるために経済的な発展が求められました。初期の工業化は主に北部、特にピエモンテ地方とロンバルディア地方で進み、テキスタイル業界が中心でした。しかしながら、南部では工業化が遅れ、この地域の経済的遅れは「南部問題」として長くイタリア政治の重要な課題となりました。
第一次世界大戦中と戦後は、軍需産業が発展し、自動車、化学、鉄鋼業が拡大しました。ファシスト政権下での1930年代には、重工業とインフラストラクチャーの大規模な発展が進められました。国家主導の産業政策によって、イタリアの近代化が進んだ一方で、第二次世界大戦の敗戦によって多くの産業施設が破壊されました。
戦後の復興期には、アメリカからのマーシャルプランによる援助を受け、イタリアは急速な経済成長を遂げました。この時期を「イタリアの経済奇跡」と呼びます。自動車産業、家電製品、ファッション産業が特に発展し、イタリアは西ヨーロッパの主要な工業国の一つに成長しました。
1970年代の石油危機をきっかけに、イタリア経済は停滞しました。高いインフレーションと失業率が問題となり、北部と南部の経済格差がさらに拡大してしまいます。1980年代から1990年代にかけて、産業の再構築と効率化が進められ、高付加価値の製品を中心に競争力を高める努力が続けられました。
イタリアの工業化の歴史は、地域間の不均衡、政治的変動、そして国際経済の動向と密接に結びついて進展してきました。今日のイタリアの工業セクターは、その歴史的な背景と進化によって形作られているのです。
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