東ゴート王国の滅亡は、一人の優れた戦略家と軍人、そしてビザンツ帝国の皇帝、ユスティニアヌス1世の手によってもたらされました。その全過程は、約20年の長きにわたるゴート戦争として記録されています。
|
|
|
|
ユスティニアヌス1世は、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の皇帝であり、彼の治世は「ユスティニアヌスの復興」として知られています。彼は、ローマ帝国のかつての栄光を取り戻すため、イタリア半島を含む西方の領土を再征服することを決意しました。
ユスティニアヌス1世は、533年にヴァンダル戦争を終結させると、すぐに次のターゲット、東ゴート王国に目を向けました。彼は総司令官ベリサリウスをイタリアに派遣し、東ゴート王国への攻撃を開始しました。数々の戦闘を経て、ビザンツ軍は540年に東ゴートの首都ラヴェンナを占領し、王ウィティギスを捕らえました。
しかし、戦争はまだ終わりませんでした。新たに東ゴート王となったトーティラは抵抗を続け、一時はイタリア半島をほぼ取り戻しました。しかし、再度派遣されたベリサリウスの後任であるナルセスは、552年のブスタイオポリスの戦いでトーティラを討ち取り、翌年には最後の抵抗勢力を撃破しました。
これにより、東ゴート王国はビザンツ帝国によって滅ぼされ、イタリア半島は再びローマの支配下に戻りました。しかし、この戦争はイタリアを荒廃させ、その後のランゴバルド人による侵入を許す遠因となりました。東ゴート王国の滅亡は、ユスティニアヌス1世の野望を体現すると同時に、ヨーロッパの歴史を大きく動かす出来事でした。
|
|
|
|