フランク王国では主にフランク語とラテン語が話されていました。
フランク王国を建国したフランク人はフランク語を母語としていましたが、勢力の基盤たるガリアはもともとローマ領であったので、ラテン語の慣習も残りました。
ガリア全土がフランク人に征服された後でも、ローマ時代の上流階級やキリスト教聖職者によってラテン語の文学的伝統は繋ぎ止められていたのです。
ラテン語の碑文
識字文化はカロリング朝時代までフランク人一般に普及しなかったため、国家運営に必要な文書業務は、ローマ人やキリスト教聖職者がラテン語により行っていました。
とはいえフランク王国内で優勢なのはフランク語であったのは変わりなく、ラテン語を使用していたのは、役人や領主も兼ねていた一部の聖職者はじめ知識階層にすぎませんでした。
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