モロッコ事件は、アフリカのモロッコの利権をめぐってフランスとドイツとの間で争われた紛争のことです。1905年、モロッコの北端タンジールで起こった第一次モロッコ事件(タンジール事件)と1911年、モロッコ南西部で起こった第二次モロッコ事件(アカディール事件)があります。
いずれも帝国主義的な対立がきっかけで、モロッコが19世紀以来戦略的に重要な地でかつ資源も豊富な場所として、その利権をめぐり列強国同士で争われていたことが背景にあります。
モロッコは長年その支配権をめぐり争われてきましたが、イギリス・フランス協商(1904)以来、イギリスはフランスによるモロッコ支配を承認していました。
しかし「世界政策」を推し進めるドイツはこれに反対し、1905年ウィルヘルム2世がモロッコのタンジール港に軍艦で上陸。フランスの支配権を否定する行動に出ました。
モロッコ・タンジールを訪問したドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が街中をパレードする様子。第一次モロッコ事件(タンジール事件)の発端となった。
これにより英仏とドイツの緊張が高まりましたが、アルヘシラス会議でドイツの主張は全て却下され、結局フランス優位な協定が結ばれ終結をみています。
1911年首都フェズでベルベル人の反乱が勃発し、その鎮圧を口実にフランスが出兵。さらに抗議したドイツがアガディール港に軍艦を派遣し、軍事的緊張が走りました。しかしまたもイギリスはフランスを支持した為、ドイツはコンゴ北部と引き換えにモロッコから撤退し、フランスのモロッコ権益が確定しています。
モロッコのアガディール港
第一次モロッコ事件に続くこの事件で、「ドイツの孤立化」は決定的なものとなり、第一次世界大戦の間接的な原因となったのです。
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