オーストリアの首都ウィーンは、別名「音楽の都」と呼ばれるほどに音楽文化がさかんなことで有名です。この都市はもともと、ハプスブルク家が支配したハプスブルク帝国の首都であり、ハプスブルク家は音楽への莫大な出資をしていたことから、音楽文化がさかんになりました。ハプスブルク家台頭前、オーストリアを支配していたバーベンベルク家が音楽を振興の対象としており、それを引き継いだから形です。そのかいあって、モーツァルトやベートーヴェンなど優秀な作曲家は環境が整っているウィーンへと居を移していきました。オーストリアというのはドイツ・イタリア・ハンガリーなど方々と国境を接しており、移動が容易なことから、他にも優秀な人材が次から次へと流入してきました。
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10世紀の後半のオーストリアで権勢を誇っていたバーベンベルク家は、音楽振興を政策のひとつとしていました。12世紀ごろには、バーベンベルグ家はウィーンを都としました。バーベンベルグ家のあとにオーストリアで大きな権力を持つようになったハプスブルグ家も、音楽を政策に取り入れながらさらにウィーンを発展させていきました。
18世紀にはすでに、皇帝や貴族も演奏に参加する宮廷楽団、さらに現在のウィーン少年合唱団やウィーン国立歌劇場の前身となる組織や建物もできており、国家として音楽事業に力を入れた成果が顕著に表れていました。
そのような音楽的に豊かな環境で、たくさんの音楽家たちが学び、名作を世に送り出してゆきました。たとえば、
…彼らの作品は西洋音楽の歴史を語るうえで欠かせないものです。
現代でも、オーストリアの伝統ある音楽イベント、名門の音楽学院、あるいは街角で開かれるちいさなコンサートには、世界中の人々を惹きつける魅力があります。今後もすばらしい演奏や作品の数々が生み出されてゆくことでしょう。
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