フランク王国の「伯」とは?

フランク王国の地方統治において重要だったとされる「伯(コメス)」についてわかりやすく教えてください。

伯(コメス)は、ローマ帝国時代から継承した官職制度の1つで、カール大帝の時代に整備され、フランク王国の中核的制度となっていきました。

 

どんな役割?

フランク王国は広大であったため、王が全領土を直接支配するのは不可能でした。そこで王に司法権・行政権を与えられた伯が各都市に配され(300人以上)、地方支配を行うことで、統制を保っていたのです。

 

この伯を利用した支配体制は伯管区制(グラーフシャフト)と呼ばれ、主に地方の有力者が任命されていました。そして伯はやがて職位と土地を世襲化し、独立性の高い領邦君主となっていったため、ヨーロッパ世界は段々と封建社会の性格を強めていくのです。

 

パリ伯のジラール・ド・ルシヨン。パリ伯はカロリング朝フランク王国における、パリ周辺の統治者に対して与えられた称号だった。