古代ローマ時代

古代ローマは重要である。ローマ人を無視するのは、遠い過去を切り捨てるということだけでは済まない。古代ローマは今も、学者先生の高等理論にしろ俗世間で起きる出来事にしろ、現代世界をどう理解し、私たち自身についてどう考えるべきか、その指針となる。二千年経った今なお、西洋の文化や政治、私たちが書く文章、世の中の見方、世界における西洋の立ち位置の基盤なのだ。

 

メアリー・ビアード著『ローマ帝国史T』p13より引用

 

古代ローマは、かつてヨーロッパで覇権を握っていた古代の超大国の総称です。前8世紀イタリアに成立して以降、周囲の種族や都市国家を吸収しながら勢力を拡大。前3世紀にはイタリア半島を統一し、前1世紀には地中海世界全域+西ヨーロッパの大部分を支配する大帝国に成長しました。この史上類を見ない広域国家の台頭により、この国が持っていた文化(キリスト教、ローマ法、ラテン語など)がヨーロッパ広しに定着し、現在に続くヨーロッパ文化の素地が形成されていったのです。

 

古代ローマの変遷

古代ローマは前753年、イタリア半島中部・テベレ川下流域の小さな都市国家として成立しました。最初は王政でしたが、前6世紀に国王を追放することで共和政に移行。共和政初期には貴族と平民の身分闘争が、末期には閥族派と平民派の内乱が展開されました。前1世紀後半にはカエサル独裁を経て共和政の基盤が揺らいだのち、オクタウィアヌスが内乱を治め共和派を一掃したことで帝政(プリンキパトゥス)が成立しています。帝政初期には「パックス・ロマーナ(ローマによる平和)」と呼ばれる空前の繁栄を享受し、トラヤヌス帝(在位:98〜117年)の治世でその版図は過去最大になりました。

 

帝国領の分裂と西領の崩壊

しかし4世紀になると、「ゲルマン民族の大移動」の影響で帝国領は西ローマ帝国東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に分裂。後者は1453年まで続きましたが、前者は476年、ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルにより皇帝が廃位されたことで、滅ぼされてしまいました。この「西ローマ帝国の崩壊」という出来事は、古代ヨーロッパと中世ヨーロッパを分ける重要な基点とされています。

 

古代ローマの歴史年表

王政期(前753年〜前509年)

前753年 ローマ建国
前752年 ザビニ戦争
前509年 王政崩壊

 

共和政期(前509年〜前27年)

前509年 共和政の開始
前498年 ラティウム戦争
前390年 アッリアの戦い
前343年 サムニウム戦争
前272年 イタリア半島統一
前264年 第一次ポエニ戦争
前218年 第二次ポエニ戦争
前216年 カンナエの戦い
前215年 第一次マケドニア戦争
前200年 第二次マケドニア戦争
前192年 ローマ・シリア戦争
前171年 第三次マケドニア戦争
前155年 ルシタニア戦争
前153年 ヌマンティア戦争
前150年 第四次マケドニア戦争/ギリシアがローマ支配下に
前149年 第三次ポエニ戦争
前139年 第一次奴隷戦争
前133年 グラックス兄弟の兄ティベリウス・グラックスの死
内乱の一世紀
前133年 内乱の一世紀の始まり(−前27年)
前121年 グラックス兄弟の弟ガイウス・グラックスの死
前113年−前101年 キンブリ・テウトニ戦争
前111年−前105年 ユグルタ戦争
前107年 マリウスの軍制改革
前90年 同盟市戦争
前88年−前63年 ミトリダテス戦争
前73年−前71年 第三次奴隷戦争
前60年 第一回三頭政治の構築
前58年−前51年 ガリア戦争
前53年 第一次パルティア戦争
前53年 カルラエの戦い
前49年−前45年 ローマ内戦
前44年 カエサル暗殺
前43年 第二回三頭政治の構築
前39年 第二次パルティア戦争
前36年 ナウロクス沖の海戦
前27年 共和政崩壊/帝政移行・・・オクタウィアヌスがアウグストゥス(尊厳なる者)/第一の市民(プリンケプス)の称号を受けるり、プリンキパトゥス(元首政)への移行。事実上の共和政終焉。

 

帝政期(前27年〜後476年)

2年 第三次パルティア戦争
58年−63年 第四次パルティア戦争
68年−70年 ローマ内戦(四皇帝の年)
113年 第五次パルティア戦争
161年 第六次パルティア戦争
165年 天然痘の大流行(アントニヌスの疫病)
193年 セウェルス朝時代の始まり
194年−198年 第七次パルティア戦争
212年 アントニヌス勅令
217年 第八次パルティア戦争
235年 軍人皇帝時代の始まり/コロナトゥスの普及
260年 ガリア帝国成立/エデッサの戦い
273−274年 皇帝アウレリアヌスによるパルミラ王国、ガリア帝国の征服
284年 ドミナートゥス(専制君主制)へ移行
293年 テトラルキア(四分割統治)の導入
313年 ミラノ勅令(キリスト教が公認に)
330年 都をローマからビュザンティオン(後にコンスタンティノポリスに改名)に移す。
375年 ゲルマン民族の大移動
376年−382年 ゴート戦争【ハドリアノポリスの戦い(378年)】
392年 キリスト教の国教化
西ローマ帝国
395年 西ローマ帝国と東ローマ帝国に分裂
410年 ゲルマン民族一派の西ゴート族によるローマ侵攻・陥落(ローマ略奪
476年 西ローマ帝国の滅亡(古代ローマ時代の終焉)

 

 

古代ローマ時代に関する記事一覧

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古代ローマ時代はいつからいつまで?

古代ローマとは古代ヨーロッパ世界において最強最大を誇った国家の総称で、いわゆる「古代ローマ時代」とは、この国家の建国から滅亡までの期間のことを指します。古代ローマ時代は、王政ローマ期(紀元前753年〜紀元前509年)、共和制ローマ期(紀元前509〜紀元前27年)、帝政ローマ期(紀元前27年〜紀元後476年)に分けられます。古代ローマ時代の始まりローマの建国神話に基づけば、古代ローマ時代始まりの年は...

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古代ローマの身分制度が解消されるまで

共和政ローマ社会の構成員は、土地や財産を世襲した上流階級「パトリキ(貴族)」と、中小農民や商工業者を中心とする「プレブス(平民)」という身分に分かれていました。そして共和制初期には少数の貴族が中心となって政策を決定する合議制(貴族寡頭制)がとられ、一握りの貴族が社会の実権を握っている状態でした。階級闘争と身分制の解消ローマで商工業が発達してくると、貴族による権力独占に対し、自前で武器を購入し「重装...

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古代ローマの一般的な食事とは?

古代ローマ人の食事といっても、庶民・貴族・奴隷など身分によってずいぶんと違いました。貴族が食べるような食事は、庶民には到底食べられないようなものでしたし、庶民の食事でも、奴隷にとってはとても豪華なものといえました。庶民の食事主食庶民の主食はヨーロッパ人らしく「パン」であり、配給制でローマ市民であれば無料でもらうことができました。また古代では今のような冷蔵技術などないので、長持ちするようにカチカチに...

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古代ローマ貴族は食事を吐いては食べていた?

古代ローマの上流階級にとって「食べる」ことは至高の娯楽でした。貴族ローマ人の食事の時間は夕方から、長ければ深夜まで続いたといい、招待客同士の会話はもちろんのこと、音楽や詩の朗読、大道芸などを楽しみながら食事をしていました。ただしよく言われる「ローマ貴族はよりたくさん食べるために、食べては吐くを繰り返していた」が史実かどうかははっきりとしたことはわかっていません。食べるために吐いていたかは微妙もちろ...

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古代ローマ公衆浴場、衛生面はどうだったのか

昨今の古代ローマを舞台にした浴場漫画の流行で、「古代ローマ人」と聞けば、「お風呂好き」につなげる人は多いと思います。実際ローマ帝政期になると、各地に公共施設として公衆浴場が建設されるようになり、老若男女、貧富の差を問わず利用されていました。公衆浴場は不衛生だった?古代ローマ人の風呂好きは、風呂に入る習慣がなかった中世ヨーロッパの人々と対照的に語られることが多いですが、公衆浴場そのものはとても不衛生...

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古代ローマの庶民の生活

古代ローマについて残っている記録というのは、教育を受けたり、文字を書くことができる、比較的裕福な恵まれた環境にいた人達(権力者やエリート層)によるもの、ということを念頭に置く必要があります。この階級に属していたのは全体の約0.5パーセントにも満たず、彼らの残した記録のみでは古代ローマ社会の全体像は見えてきません。古代ローマ庶民の生活を知るにはローマの庶民が普段どのような暮らしをして、何を考えていた...

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古代ローマで信仰されていた宗教は?

キリスト教が普及する前の古代ローマ世界では、ローマ神話の神々を祀る「多神教」が信仰されていました。ローマ神話は大部分がギリシア神話の踏襲であり、ローマ神話に登場する12柱の神々は、ギリシア神話のオリュンポス12神と同一視されています。大勢の人々が神殿で礼拝を行い、ローマの神々に祈りを捧げたのです。皇帝崇拝とキリスト教の登場共和政から帝政に移行すると、皇帝を神格化する「皇帝崇拝」が登場し、各地に皇帝...

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古代ローマでもオリンピックはやってたの?

現在4年に1度開催されるオリンピックの起源は、前8世紀から前4世紀にかけて古代ギリシャで行われていたオリンピア大祭、いわゆる古代オリンピックにあります。ゼウスの神殿のあるエーリス地方・オリンピアで当時も4年に1度開催され、ギリシア世界各地から選手が集結し、身体能力を競っていました。古代ローマによる征服後古代ギリシャ世界は紀元前2世紀に共和政ローマに征服されますが、その後も古代オリンピックは続けられ...

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古代ローマ時代のお菓子とは?

実はヨーロッパのお菓子の多くは古代ローマで食べられていたお菓子、もしくは古代ローマが継承し発展させた古代ギリシャのお菓子に起源を持ちますアピキウスによる世界最古の料理本に様々なお菓子のレシピが載っており、もちろん味や見た目の違いはあったとはいえ、揚げ菓子やプリン、フレンチトーストといった現代の定番料理が食べられていたことがわかっています。菓子パンが人気だった?ローマではパン屋が人気で、フルーツタル...

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古代ローマ人の服装

ローマの服で最も有名なのが、一枚布を身体に巻きつけるシンプルな「トガ」ですが、このトガは時代が下るにつれて大きくなっていきました。また最初は男女差はありませんでしたが、時代が下ると女性はギリシア風のトガを着るようになりました。公職者の服装トガはやがて公服として着られるようになりました。このことでトガの着付け方や色を厳しく規定されるようになったため、もともと部屋着であったトゥニカが日常服として着られ...

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古代ローマ人の髪型

女性の髪型ローマ人女性は髪を伸ばして、結い上げるのが一般的でしたが、上流階級の場合、髪飾りや付け毛を付けるなど、より手の込んだヘアスタイルを好んでいました。「髪」というのは、人体の中でもとりわけ人目につき、その人全体の印象を大きく左右する部位で、「富と権威の象徴」でもあったので、手抜きは許されなったのです。理想の髪型を作るために、相当な労力と時間を割いて、奴隷にヘアセットをさせていました。金髪が人...

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古代ローマでキリスト教が国教化したのはいつ?

ヨーロッパ文明を構成する重要な要素に、古代ギリシャ・ローマ文化、ゲルマン文化、アルファベットなどに並びキリスト教があります。そのため古代ローマにおけるキリスト教の国教化は、ヨーロッパ史で五本の指に入るほど重要な画期といえます。そして古代ローマでキリスト教が国教に定められたのは、帝政時代の393年の話で、1世紀初めの誕生からずいぶん開きがあります。ローマ帝国の領内で、この宗教が国教化どころか、公認さ...

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古代ローマの政治体制(王政・共和政・帝政)の違いとは?

古代ローマとは古代ヨーロッパ世界において最強最大を誇った国家で、その長い歴史は政治体制の変遷によって王政期(紀元前753年〜紀元前509年)、共和政期(紀元前509〜紀元前27年)、帝政期(紀元前27年〜紀元後476年)に分けられます。王政ローマの特徴期間:紀元前753年〜紀元前509年初代王ロムルスのローマ建国とともに開始された古代ローマ最初期の政治形態です。一人の王による専制支配が行われ、王の...

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古代ローマ剣闘士の歴史

剣闘士(ラテン語でグラディアトル、英語でグラディエーター)とは古代ローマ時代、闘技場にて同じ剣闘士や猛獣と戦っていた険奴のことです。当時にして剣闘士試合ほど刺激の強い娯楽は存在しないので、ローマ市民は剣闘士試合に熱狂しました。皇帝や元老院、地域の有力者など支配者層は民衆に見世物を提供し、支持を得たり、地位を高めるための場、つまりプロパガンダの場として利用するようになりました。剣闘士の歴史剣闘士試合...

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古代ローマに女性剣闘士はいた?

剣闘士といえば、古代ローマ時代に民衆への見世物として、闘技場で戦っていた険奴として知られます。この時代にして最も刺激的で人々が熱狂した娯楽であり、何万人も収容できる円形闘技場が多くの都市に作られました。女性剣闘士はいた可能性が高い?これまでに武器を持つ女性のブロンズ像や女性同士が戦う彫刻が発見されています。また1世紀の歴史家スエトニウスは、皇帝ドミティアヌス(在位:81年〜96年)が女性剣闘士に試...

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古代ローマの結婚式の特徴

古代ローマにおいて、長らく貴族と平民の結婚が禁じられていましたが、紀元前445年、カヌレイウス法によりそれが認められ、平民も貴族と婚姻を結び政界に進出することができるようになりました。ローマ社会において結婚とは、自らの血を残すということ以外にも、社会的地位を確立するための重要な手段でもあったのです。古代ローマに起源を持つ結婚文化ブライズメイドブライズメイドが同じ格好をするという伝統は、古代ローマの...

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古代ローマ水道の仕組みとは?

古代ローマでは都市や工場地に水を供給するための水道が、市内に張り巡らされていました。世界中どこをみても、ローマほど高度な水道を備えていた古代国家はないでしょう。古代ローマ滅亡後、時代が中世に移っても、1000年以上ローマに匹敵する水道が作られたことはありませんでした。この時代に作られた水道が、2000年以上たった今でも一部が残され活用されていることから、本当に古代とは思えない驚くべき技術を持ってい...

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古代ローマの下水道クロアカ・マキシマとは?

古代ローマは水を供給するための上水道だけでなく、排出するための下水道も備えていました。工場や公衆浴場、公衆トイレ、宮殿などに供給された水が、排水として下水道に流れていましたクロアカ・マキシマ古代ローマの下水システムを「最大の下水」の意で「クロアカ・マキシマ」と呼びます。紀元前7世紀頃、エトルリア人の技師たちを使い、貧民階級を半ば強制的に動員することで完成させたもので、テヴェレ川に排水が運ばれていま...

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古代ローマが衰退した理由とは?

古代ローマといえば、イタリア半島中部のテヴェレ川のほとりの小さな都市国家から、強大な軍事力を背景に勢力を広げ、最終的には地中海世界全域を支配する大帝国を築き上げた古代国家として名高いです。しかし3世紀頃から衰退が始まり、4世紀には国土が分裂。5世紀後半にはついに滅亡の憂き目にあっています。衰退の理由ローマは帝政移行以来「パックス・ロマーナ」と呼ばれる空前の繁栄を享受しましたが、2世紀末には伸び悩み...

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古代ローマの通貨単位とは?

古代ローマの繁栄の理由の一つに商工業の発達があり、商工業の発達を支えたのが通貨の存在です。ローマでは紀元前3世紀頃から紀元3世紀頃まで、アウレウス(金貨)、デナリウス(銀貨)、セステルティウス(青銅貨)、デュポンディウス(青銅貨)、アス(銅貨)などの貨幣が使われ、流通を支えていました。通貨の役割また通貨には経済活性化以外にも重要な役割がありました。硬貨に彫られた図像や文字で、権力者の権威を高めたり...

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古代ローマの哲学者一覧

古代ローマ時代に活躍した哲学者を紹介しています。マルクス・トゥッリウス・キケロ生年:前106年〜前43年共和政ローマ末期に活躍した哲学者です。カティリーナの陰謀における活躍が有名。ギリシア哲学をラテン語に訳し、アリストテレスがまとめた「トピック」を明確に定義した功績を持ちます。マルクス・アウレリウス・アントニヌス生年:121年〜180年161年から180年までのローマ皇帝ですが、ストア派の哲学者と...

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古代ローマの帝政はいつ始まる?

古代ローマ帝政時代とは、古代ローマ史における後半から開始された、「皇帝が集中的に権力を握っていた君主制時代」のことです。帝政時代は古代ローマが「パックス・ロマーナ(ローマによる平和)」と呼ばれる空前の繁栄を享受した時代であると当時に、衰退し、混乱の末領土が割れ、滅亡に至った時代でもあります。帝政の開始ローマ共和政末期に、内乱を収め地中海世界を統一したアウグストゥスが、紀元前27年にプリンキパトゥス...

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古代ローマトイレ事情

古代ローマ時代には個人宅にトイレなどはなく、大多数の市民は市内に設置された公衆トイレを利用していました。公衆トイレの設置は紀元前2世紀から始まり、その形態は長椅子に鍵穴型の穴が空けられた簡素なものでしたが、直下には汚物を排水する下水道が通るなど、現代の公衆トイレに限りなく近い機能性を備えていました。公衆トイレは感染症の温床古代ローマの公衆トイレに仕切りなどはなく、皆丸見えの状態で用を足すことになり...

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古代ローマ時代の日本は何時代?

古代ローマ時代は王政ローマ期(紀元前753年〜紀元前509年)、共和制ローマ期(紀元前509〜紀元前27年)、帝政ローマ期(紀元前27年〜紀元後476年)に分けられますが、この大半の期間が日本の弥生時代と重なります。弥生時代とは弥生時代は縄文時代に続く時代区分で、従来の石器に代わる青銅器・鉄器の普及、それを利用した水田稲作、小国家の出現、対中外交などの特徴がみられます。この時代は紀元前10世紀頃か...

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古代ローマの農業形態とは?

古代ローマでは紀元前11世紀頃、イタリア半島に鉄器がもたらされて以来、農業が活発に行われるようになりました。シュメールから伝わった二圃式農業(冬穀物の栽培と休閑を繰り返す農法)が主で、鉄斧で木を切り倒し、森を農地に変えることで、大量の作物を栽培していたのです。古代ローマは農業立国ローマ人は農作物を交易用にも栽培していました。農地が増え、農作物の生産性が上がると、余剰農作物が増え、交換で武器や軍艦用...

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古代ローマの農業神を祭る儀式とは?

古代ローマ人は作物が育つ土壌を「テラ・マーテル(Terra Mater:母なる大地)」と呼び、ローマ神話の女神テラと同一視していました。しかし豊穣をつかさどる神といえば、テラよりもサトゥルヌスのが有名です。サトゥルヌスは「種をまく者」を意味し、ギリシア神話の神クロノスと同一視され、ギリシアからイタリアに移住したと考えられています。サトゥルナリア祭古代ローマでは、ユリウス暦で12月17日から12月2...

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古代ローマが繁栄した理由とは?

イタリア半島中部のテヴェレ川のほとりの小国に過ぎなかったローマが、地中海世界全域を支配する巨大帝国にまで成長。そして前1世紀の末から200年間、パックス・ロマーナと呼ばれるローマ史上最高の平和と繁栄を謳歌しました。ローマがここまで繁栄した理由を細かく挙げると切りがありませんが、とくに重要なものを3つピックアップします。古代ローマの繁栄を支えた理由3つ1.征服地に自治を認めた征服地の民族の生活様式や...

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古代ローマで発明された技術とは?

古代ローマは古代世界において最大最強を誇った史上類を見ない大帝国として有名ですが、その強大な国力を支えたのが、ローマの保有した古代とは思えないくらい高度なテクノロジーです。ここではローマ人により発明された、とくに優れた発明、技術を紹介したいと思います。ローマ水道古代ローマではローマ水道と呼ばれる、非常に高度な技術が使われた長大な水路が建設されていました。古代世界はもちろん、ローマ帝国滅亡後も、10...

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古代ローマの公共広場フォルムとは?

古代ローマの都市には、「フォルム」と呼ばれる市民の政治経済活動の中心地的公共空間(オープンスペース)が存在しました。中でもローマの四つの丘(カピトリヌス,パラティヌス,クイリナリス,エスクイリヌス)に囲まれたフォロ・ロマーノは、共和政時代に国家の政治経済的中心地として整備された、ローマ時代最古の遺構として知られます。フォルムの役割フォルムは、神殿や商用施設、バシリカ、コミティウム(公開会議スペース...

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古代ローマは左側通行だった?

「道路の進行方向」において、日本のような左側通行は実は世界的には少数というのはご存じでしょうか。アメリカが右側通行というのは知ってる人も多いと思いますが、ヨーロッパでもイギリス以外、右側通行の国がほとんどです。しかし面白いことにヨーロッパの原型となった古代ローマは左側通行だったと考えられているのです。「古代ローマは左側通行」の根拠その根拠の一つが、古代ローマ時代の遺跡から出土した「荷車の轍(わだち...

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古代ローマで使われていた筆記用具とは?

古代ローマにおけるラテン文字の発達は、知識の共有を促し、社会の成熟に大きく寄与しました。当然文字を書くためには筆記用具が必要ですが、古代ローマではどのようなものが使われていたのでしょうか。古代ローマのノート古代ローマでは「蝋板本(ろうばんぼん)」と呼ばれる、木や象牙を利用した板がノートとして使われていました。板の表面に蝋が張ってあり、「尖筆(スタイラス)」と呼ばれる先のとがった筆記用具で蝋をひっか...

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古代ローマで行われていた避妊方法とは?

古代ローマでは「シルフィウム」と呼ばれるセリ科ウイキョウ属の植物が避妊薬として摂取されていました。銀と同等かそれ以上に高価なものとして扱われ、獲りすぎにより現在は絶滅しています。動物の膀胱や腸をコンドームとして利用していました。ただ古代ローマ時代におけるコンドームは避妊というより性感染症の防止が目的でした。(動物の腸や皮を避妊具として利用する文化は非常に古く、紀元前3000年のエジプトに起源を持ち...

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古代ローマで起こった噴火事件とは?

紀元79年、古代ローマの都市ポンペイとヘルクラネウムは、近郊のヴェスヴィオ山の大噴火に巻き込まれ、壊滅しました。避難に遅れた人々が建物の倒壊や津波、降り注ぐ岩石や火山性ガスの吸引などで死亡。都市は火山灰や溶岩で埋め尽くされ、およそ1万人が暮らす大都市が一夜にして消失しました。ポンペイは紀元62年にも大地震に見舞われて大きな被害にあっていますが、その後復興を遂げたとはいえ、この時の地震はやがて起こる...

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古代ローマの平均寿命とは?

古代ローマ時代の平均寿命(平均余命)は20〜25歳程度であり、80歳前後が一般的になっている現代先進諸国と比べたら、かなり短かったことがわかります。これは古代ローマに限らず、古代世界においては当たり前のことでした。短命の原因古代世界において平均寿命が短くなる最大の原因は、医療の発達していない当時においては死産により乳幼児死亡率が高かったことにあります。さらに5歳以上成長した子供は、平均で40歳程度...

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古代ローマの法律とは?

古代ローマ時代に制定され、ローマの支配した地中海世界全域に適用された法律の総称を「ローマ法」といいます。紀元前8世紀のローマ建国から6世紀のビザンチン帝ユスティアヌスによる法典編纂にいたるまで発展した法体系で、最初の成文法「十二表法」が重要な機能を果たした前3世紀まで(第一期)、ローマがイタリア統一を果たし万民法が成立した前3世紀以降(第二期)、3世紀末の帝国の分担統治開始後(第三期)に区分されま...

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古代ローマの「無産市民」とは?

「無産市民(プロレタリア)」というのは、古代ローマ社会において平民から没落して一文無しとなってしまった下層民のことです。前3世紀以降のローマの版図拡大にともない急増し、このことにより貧富の格差拡大はローマ内乱の勃発に繋がり、共和政崩壊と帝政以降の間接要因にもなっています。無産市民(プロレタリア)が生まれた理由ローマの支配圏が地中海全域に拡大していくに従い、外国領土から大量の安価な作物や奴隷が流入。...

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古代ローマで使われていた文字は?

古代ローマで使われていた文字はローマ字、もしくはラテン文字と呼び、今でもヨーロッパやアメリカの多数の国で国語表記に使われています。西ギリシア文字がエトルリアを経て、ローマに伝わったことで発展・成立したという経緯を持ちます。ローマ字は古代ローマ帝国崩壊後も旧支配域で使われ続け、古代ローマ時代には23文字だった文字数が、中世になりIがI/Jに、VがU/V/Wに文化したことで26文字となっています。また...

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古代ローマで流行した疫病とは?

古代ローマは都市化し大人口を抱えていたからこそ、感染症の類は大敵でした。2世紀以降ローマ領内で起こった感染症大流行は、ローマ帝国の人口激減と社会的混乱を引き起こし、のちの帝国の分裂と崩壊にすら関与しています。2世紀以降における大流行の原因2世紀といえばパックス=ロマーナと呼ばれるローマ帝国の最盛期で、シルクロード交易が活発に行われていた時代にあたります。シルクロードはローマの商業を活発化させました...

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古代ローマにおける「落書き」は貴重な史料

「落書き」というのは現代社会では違法行為として罰せられることもあるものですが、古い時代に描かれた落書きは、その時代に生きた人々が考えていることや文化を知る上で非常に重要な手がかりになります。古代の落書きからわかること例えば79年にヴェスヴィオ山の噴火で海港都市ポンペイが丸ごと埋没し、18世紀になり古代の街並みそのままに再発見されていますが、発掘された建物の壁には多くの落書きが残されており、これらは...

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古代ローマで使われていた暦とは?

古代ローマで使われていた暦は「ローマ暦」といい、現代のグレゴリオ暦の元になりました。ローマ暦は紀元前8世紀半ばにロムルス王によって作られ、それをもとに前8世紀末ヌマ王により、前1世紀半ばにカエサルにより改定されています。以下ロムルス暦、ヌマ暦、ユリウス暦それぞれの特徴になります。古代ローマの暦ロムルス暦前753年、ローマで最初に採用された暦はローマ建国者とされるロムルスの名をとりロムルス暦と呼ばれ...

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古代ローマとローマ帝国の違いとは?

「古代ローマ」と「ローマ帝国」の違いについて簡潔に解説します。古代ローマとは「古代ローマ」とは、古代ヨーロッパ世界において最強を誇っていた超大国の総称です。紀元前753年、イタリア半島中部の小さな都市国家から、軍事力や経済力を背景に版図を拡大し、前1世紀末には地中海世界全域を支配するにまで成長しました。しかし3世紀以降衰退が始まり、4世紀には国土分裂が分裂、5世紀には西方領土である西ローマ帝国が滅...

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古代ローマにも学校はあった?

古代ローマにも「学校」に相当する場所は存在しましたが、現代日本やヨーロッパ諸国のように、公共の学校というものはありませんでした。教育は社会が行うものではなく、家庭学習が一般的で、国家は干渉しないものだったのです。帝政期には私塾が出来始め、教育の場は家庭から教育へシフトしていきますが、教育は親が子に与えるものという状況が変わったわけでもありませんでした。教育科目教育は物心がつく6~7歳頃から始まり、...

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古代ローマ時代に流通した「ローマガラス」とは?

ローマガラス(もしくはローマングラス)とは、前1世紀から4世末までの間にローマ帝国領内で普及していたガラス製品です。前1世紀に吹き技法が発明されたことで、ローマ領内でガラスの大量生産が始まり、日用品としてガラスの器が用いられるようになったのです。ローマガラスの特徴ヘレニズム時代において主要なガラス産地といえばシリアやエジプトでしたが、前1世紀までにこれらの地域はローマの支配下に入り、その製造技術が...

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古代ローマで使われていた楽器とは?

古代ローマは戦争や政治では極めて優秀だったものの、文化面では平凡でした。そのため古代ローマにおける音楽といえば、古代ギリシャ音楽の思想や理論、楽器を踏襲したものとなり、とりわけ革新的な側面はありません。古代ローマにおける音楽の役割古代ローマでは音楽に対する姿勢が、古代ギリシャとは違っていました。古代ギリシャでは音楽や劇というのは公共が投資すべき「芸術」と考えられていましたが、古代ローマではしょせん...

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古代ローマで話されていた言語は?

古代ローマにおいて公用語になっていたのはラテン語です。ラテン語は西ローマ帝国崩壊後もローマ・カトリック教会の公用語として継承され、旧西ローマ帝国領各地に定着した口語が変化することで、フランス語・イタリア語・ポルトガル語など現西ヨーロッパ諸言語の成立に繋がりました。ラテン語の歴史ラテン語はインド・ヨーロッパ語族のイタリック語派に属する言語で、ギリシア語の影響のもと発展し、長いローマ時代を経て多様な表...

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古代ローマの現代への影響とは?

古代ローマ時代に構築・発展した法体系、政治システム、学問、文化などは中世以降もヨーロッパに継承され、ヨーロッパ文明の揺籃となりました。そして15世紀から19世紀にかけてヨーロッパ勢力(スペイン、ポルトガル、イギリス、オランダ、フランスなど)は海外に進出し、世界の支配者として君臨。その中でヨーロッパの法律や制度・医療・政治・生活様式・生産方式が、アメリカやアジア、アフリカなどに世界中に浸透し、現代社...

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古代ローマの女性の地位

家父長権が強かった古代ローマにおいて、女性は父や夫の「所有物」という扱いであり、法律上の女性の権利は奴隷とそう変わりませんでした。女性は家と財産の存続に必要な跡継ぎを生む存在であり、大抵の女性は12歳にもなると「商品」として嫁に出されました。恋愛の自由などなく、花婿は父の独断で決められるのです。ローマ人女性の地位向上一方で前3世紀以降のローマの領土拡大にともない、戦争捕虜として女の奴隷が大量に流入...

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古代ローマの「属州(プロヴィンキア)」とは

属州(プロヴィンキア)というのは、古代ローマが戦争によって獲得したイタリア半島外の領土(海外植民地)のことです。ローマ最初の属州は第一次ポエニ戦争(前264年〜前241年)の結果獲得したシチリア島で、次いでコルシカ島、サルデーニャ島を第二の属州として獲得。これを皮切りに属州を広げ続けることで、前1世紀までには地中海世界全域を支配下におく大帝国を形成するに至ったのです。属州の統治属州(プロヴィンキア...

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古代ローマってどこにあったの?

古代ローマとは古代ヨーロッパ世界において、地中海世界全域・ガリア(おおむね現在のフランス)・イギリス南部など広大な領域を支配していた超大国のことです。その繁栄の中で、ローマ領内にはラテン語・アルファベット・キリスト教など浸透し、ヨーロッパ文明の土台が形成されたため、古代ローマの文化や歴史を学ぶことは、ヨーロッパの文化や歴史を学ぶ上で避けては通れないことだといえます。古代ローマの場所古代ローマはもと...

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古代ローマにおける奴隷の値段は?

古代ローマでは創立初期から、「奴隷」の存在が、社会を維持する上で重要な役割を果たしていました。「古代ローマの栄光」というものは、膨大な数の奴隷により支えられていたことは知っておかねばなりません。奴隷の役割ひょっとしたら「奴隷」と聞けば、首や手足を鎖で繋がれ、一日中過酷な肉体労働を強いられているイメージが強いかもしれません。実際鉱山や農場などでそのような奴隷も多く使役されたことは事実ですが、古代ロー...

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古代ローマの奴隷制度の特徴

奴隷制というのは奴隷労働による生産形態が社会に浸透している状態を指し、古代ローマというのはまさに奴隷制で成り立っている国家でした。古代ローマは都市国家時代の初期から奴隷の使役はみられたものの、社会に不可欠なものとして本格的な動員が始まるのは紀元前3世紀以降です。戦勝によりイタリア半島外に領土を広げていく中で、戦争捕虜からなる奴隷が大量に手に入るようになり、奴隷労働が社会の隅々に浸透していくのです。...

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古代ローマにおける解放奴隷とは?

解放奴隷というのは、古代ローマの奴隷制社会において奴隷身分から解放されローマ市民権を得た自由民のことです。解放奴隷は家族名である自身の名前に、主人の個人名と氏族名を加え名乗り、元主人と関係を持ち続けることで、「クリエンテス(被保護者)」という立場になりました。奴隷を解放する理由古代ローマ人が所有している奴隷を解放することは決して珍しくなく、むしろ彼らは奴隷解放に積極的なくらいでした。解放することを...

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古代ローマではどんなベッドを使っていた?

人類のベッドの歴史は長く、文明が成立する前の石器時代から葉や草を利用したベッドに相当する寝具が使われていました。しかし現代のような木組みのベッドの原型ができたのは古代エジプトとされています。古代ローマのベッド古代ローマにおいてベッドは睡眠だけでなく、日中は食事や読書をするための長椅子としても利用されていました。ローマ帝政期になると、「キュビキュルム」と呼ばれる寝室のような部屋も登場しています。ベッ...

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古代ローマにおける「パンとサーカス」とは?

「パンとサーカス」というのは食糧(パン)と娯楽(サーカス)のことで、これらで国家に懐柔される国民に対する揶揄として、詩人ユウェナリス(前60年〜130年)が生み出した言葉です。古代ローマ政府は、しばしば国民の政治的不満を発散させるため国民に食糧と娯楽を提供していました。実際それは効果を発揮し、国民はどんどん政治に無関心になっていったのです。パンとサーカスの意味具体的には「パン」というのは主に穀物の...

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