大航海時代のポルトガル植民地とは?

 

大航海時代の開幕を象徴する「喜望峰の発見」それに続く「インド航路の発見」という偉業を成し遂げたのは、12世紀にレコンキスタを達成し、他のヨーロッパ諸国より一足早く絶対王政を確立したポルトガル王国でした。インド航路の発見以降、ポルトガルはアフリカやアジア各地に植民地を建設し、貿易により莫大な富を得たのです。

 

 

ポルトガル海上帝国

大航海時代の先陣を切ったポルトガルは、トルデシリャス条約(1494年)でスペインと世界を二分し、南アメリカ・アフリカ・アジア・オセアニアにまで覇権を広げる「ポルトガル海上帝国」を築き上げました。この帝国は、15世紀から16世紀にかけての探検活動と植民地獲得によって拡大し、ヨーロッパ、アフリカ、アジア、南アメリカ、オセアニアにまでその影響を広げました。

 

ポルトガル海上帝国の拡大により、世界各地にポルトガルの文化、言語、宗教が広まりました。ポルトガル語は現在もブラジル、アンゴラ、モザンビーク、東ティモール、マカオなどで公用語として使用されています。また、キリスト教の布教活動も盛んに行われ、現代に至るまで多くの地域でその影響が見られます。

 

一方で、ポルトガルの植民地政策は多くの先住民の生活を破壊し、アフリカからの奴隷貿易によって多くの人々が苦しみました。これらの歴史的事実は、ポルトガルの海上帝国の遺産として現代の国際関係や社会問題に影響を与え続けています。

 

ポルトガルは1415年のセウタ占拠から始まり、1999年のポルトガル領マカオ返還まで、実に6世紀近くにもわたって植民地を保持していたことになります。

 

ポルトガルの旧植民地一覧

セウタ

1415年、ポルトガルが初めて海外に獲得した植民地。モロッコ北岸に位置し、地中海と大西洋をつなぐ重要な海上交通の要所であった。セウタの占領は、ポルトガルの海洋帝国の始まりを示す象徴的な出来事でした。

 

マラッカ

1511年、ポルトガルは東南アジアのマラッカを占領。マラッカ海峡はインド洋と太平洋を結ぶ重要な航路であり、この地域の支配によりポルトガルは香辛料貿易の支配権を確立しました。マラッカの支配により、ポルトガルはアジアにおける交易ネットワークを拡大し、莫大な利益を上げることができました。

 

ブラジル

1500年、ペドロ・アルヴァレス・カブラルがブラジルを「発見」。以来、ブラジルはポルトガルの最大の植民地となり、特に砂糖プランテーションで知られるようになりました。17世紀には金やダイヤモンドも発見され、ブラジルはポルトガルにとって非常に重要な経済的資源となりました。また、アフリカからの奴隷労働力も多く輸入されました。

 

アンゴラ

1575年にポルトガルが植民地化したアンゴラは、アフリカ西岸に位置し、奴隷貿易の中心地となりました。アンゴラからは多くの奴隷がブラジルやカリブ海地域へと送られ、奴隷貿易によってポルトガルは莫大な富を得ることができました。アンゴラはまた、鉱物資源や農産物の供給地としても重要でした。

 

モザンビーク

ポルトガルは1498年にヴァスコ・ダ・ガマが到達した後、モザンビークを植民地化。インド洋貿易の重要な拠点となり、特に香辛料や金、象牙などの交易が盛んに行われました。モザンビークはまた、アフリカ東海岸におけるポルトガルの支配の基盤として機能しました。

 

ゴア

1510年、ポルトガルはインド西海岸のゴアを占領。ゴアはポルトガルのインド洋交易の中心地となり、アジア全域への影響力を強める拠点となりました。ゴアは「東洋のローマ」とも呼ばれ、ポルトガルのアジアにおける行政、軍事、宗教の中心地として機能しました。

 

マカオ

1557年、ポルトガルは中国南部のマカオに商館を設立。マカオは東アジアとヨーロッパを結ぶ重要な貿易拠点となり、特に中国の絹や茶を輸出する主要な港として発展しました。マカオはまた、ポルトガルの文化とキリスト教の布教の拠点としても重要でした。

 

ティモール

ポルトガルは16世紀に東ティモールに到達し、17世紀に植民地化を進めました。ティモールは香辛料貿易で重要な役割を果たし、ポルトガルの東南アジアにおける影響力を強化しました。

 

ポルトガルの植民地政策は、世界各地に広がる貿易ネットワークを構築し、ヨーロッパの商業革命を推進する一因となりました。これにより、ポルトガルは16世紀から17世紀にかけて世界的な影響力を持つ海上帝国を築き上げました。しかし、その過程で多くの先住民が搾取され、奴隷貿易によってアフリカ社会に深刻な影響を与えました。ポルトガルの植民地政策は、現代に至るまでその歴史的な影響を残しています。