ピサロとは何をした人?〜インカ帝国を征服〜

 

ピサロの基本情報

 

本名:フランシスコ・ピサロ
別名:コンキスタドール(征服者)
生年:1470年頃
没年:1541年
出身:スペイン,トルヒージョ
死没地:ペルー,リマ
政策:インカ帝国征服

 

ピサロ(1470年頃 - 1541年)はスペインの探検家で、インカ帝国を征服したコンキスタドール(征服者)として知られます。カスティーリャ王国の生まれで、探検家として活動する中で、ラテンアメリカ西海岸に根を張る黄金の国・インカ帝国の存在を知り、遠征計画を抱き始めます。

 

そして1531年、内戦で疲弊している隙をついて侵略を開始し、33年皇帝を処刑してインカ帝国を滅ぼしてしまいました。多くの先住民に恨まれたピサロですが、そんな彼の生涯は、同胞スペイン人との内紛の末に暗殺され幕を閉じるという呆気のないものでした。

 

ピサロによるインカ帝国征服

1502年に初めてインディアスに渡り、パナマの黄金帝国の情報を得て、征服に野心を燃やすようになります。その後、スペイン王カルロス1世の後ろ盾を得て、パナマからラテンアメリカ大陸探検を開始。1532年、兄とともに現在のエクアドルに上陸しました。

 

そこからスペイン軍を率いて南下、ペルーのインカ帝国領内に入り、インカ皇帝アタワルパに服従(キリスト教への改宗)を迫るも、拒否されたため、攻撃を開始しました。インカ帝国軍は火器で武装したスペイン軍に成すすべもなく敗れ、1533年7月26日インカ皇帝は処刑され、帝国は滅びたのです。

 

ピサロはその後も進撃を続け、11月には首都クスコに無血入城を果たし、35年には新都リマを建設し、ペルー支配の中心としました。