クロムウェルとは何をした人?〜護国卿〜


クロムウェルの基本情報

 

生年:1599年
没年:1658年
出身:ハンティンドン
死没地:ホワイトホール
別名:護国卿
功績:議会派の勝利に貢献/イングランド共和国の建国

 

クロムウェル(1599年 - 1658年)はイングランド出身の軍人・政治家で、清教徒革命で鉄騎隊を指揮し、議会派を勝利に導いた人物として有名です。

 

クロムウェルはイングランド東部のハンティンドンシャー出身のピューリタンで、ヘンリー8世の側近として行政革命を主導したトマス・クロムウェル擁する名家で育ちました。1642年にピューリタン革命が始まると、鉄騎隊を編成し王党軍を圧倒。1949年チャールズ1世を処刑して、イギリス史上唯一の共和政を宣言したのです。

 

その後はアイルランド侵略でカトリックの土地や財産を没収したことで、現在に続くアイルランド問題が現出。さらに英欄戦争でオランダを破った名声を背に、独裁を始め共和政は名ばかりのものになったために、彼の死後イングランドは王政復古を遂げることとなったのです。

 

 

クロムウェルはなぜアイルランド征服を行ったか

1117年、アイルランドはイングランド国王のヘンリー二世に占領されて以降、事実上イングランドの植民地でしたが、その支配は間接的なもので、実際にアイルランドを治めていたのは現地の権力者でした。しかし、1494年にイングランド王が英国人の総督を派遣してからは、イングランド人による直接統治が始まりました。

 

イングランドによる弾圧

イングランドによる統治は、非常に強権的なものでした。宗教改革の押し付けや、強引な移民政策(英国化)はアイルランド人の反感を招き、反英運動が活発に行われるようになります。しかし1603年にアルスター(現北アイルランド)が陥落すると、そこに住んでいたアイルランド人たちは追放され、この地域にはイングランドやスコットランドから来た移民が住むようになったのです。

 

反乱への報復

追放されたアイルランド人たちは憤慨し、1641年に反乱を起こして多くのイングランド人を虐殺しました。このイングランド人大量虐殺に対する報復として、クロムウェルはアイルランド侵略を敢行したのです。また、ピューリタン革命で彼が処刑した国王チャールズ1世の息子をアイルランド国王としようとしたことも侵略の理由とされています。

 

戦争の結果と戦後の影響

クロムウェルのアイルランド侵略の結果、アイルランドは完全にイングランドの植民地となりました。アイルランドに残っていたカトリック教会は破壊され、アイルランド人の土地はイングランド人移民に奪われてしまいました。アイルランド人たちは以後200年近くにもわたり、小作人として過酷な労働に従事し、イングランド人に格安で提供する作物を作らされるようになります。

 

のちに、このような圧政からの解放、奪われた自由を取り返そうと起こったのが「反英運動」「自治独立運動」であり、こういった活動の成果は、1922年のアイルランド自由国の建国、1937年のアイルランド憲法の公布、1949年のイギリス連邦からの脱退という形で、実際に実を結ぶことになるのです。