ポーランドの憲法の特徴

ポーランドの国旗

 

ポーランドの国土

 

現在のポーランドの憲法は、ポーランド共和国憲法と呼び、民主化後、社会主義時代のポーランド人民共和国憲法に代わって、1997年4月2日に制定されたものです。92年の民主化から5年もの議論の末、ようやく制定にこぎつけた憲法ですが、1791年制定の5月3日憲法を基礎にしていることから、憲法記念日自体は5月3日になっています。そして「ポーランド共和国は、全ての市民の共通の福利である。」という第一条から始まり、他の多くのヨーロッパ諸国と同様に、信教の自由、表現の自由など、あらゆる基本的人権を保障する内容です。

 

 

 

ポーランドの憲法の歴史

1791年 5月3日憲法の採択

ヨーロッパ最初の成文憲法である5月3日憲法が採択され、ポーランドは民主的な立憲君主制に移行した。立法・行政・司法の「三権分立の原則」と「法の支配」を規定していた。

 

1792年 ポーランド分割(〜95年)

ロシア、プロイセンなど近隣諸国は、5月3日憲法が、自国の絶対王政秩序を揺るがす危険なものと判断。第二次、第三次ポーランド分割で、ポーランド共和国は消滅した。

 

1918年 独立を回復

ロシア革命後、ロシア革命政府がポーランド、リトアニアなどの領有権を蜂起したため、ポーランドは100年以上ぶりに独立を回復した。

 

1921年 ポーランド第二共和国憲法制定

フランスの第三共和国憲法を参考に、立法府が行政府よりも強い権限を持つ憲法を制定した。この憲法により、国家元首の権限が大幅に制限され、政党政治を柱とした政治体制に移行した。

 

1952年 共産主義憲法を制定

第二次大戦後のポーランドはソ連の強い影響下に置かれることとなり、政府の実権を握った共産主義勢力により、共産主義憲法が制定された。また国名をポーランド人民共和国に改称した。

 

1989年 東欧革命・憲法改正

ソ連の影響力低下を受け、ポーランド含めた東欧諸国で「東欧革命」と呼ばれる民主化運動が勃興する。その結果、共産主義の否定、大統領制復活、上院議会創設などを規定した憲法改正が行われ、国名もポーランド共和国へと変更された。

 

1997年 ポーランド共和国憲法の制定

4月にポーランド国民議会でポーランド共和国憲法が採択され、5月に国民投票により承認、7月に大統領によって公布され、10月に発効した。