「奴隷」とは人間としての権利が認められず、主人の所有物として無償労働に従事する人々のこと。いわゆる「奴隷制」は、人権意識が希薄な古代世界広くでみられたものですが、古代ギリシアは奴隷制に支えられていた社会の典型例といえます。市民権を持つ者ならば、中級層以下であっても平均2〜3人程度の家内奴隷を所有していました。
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奴隷の大半は戦争捕虜で、敗戦国の女子供も奴隷となる運命を辿りました。また借金が返せない自由市民が、自身の身体を抵当として奴隷になる場合もありました。このような奴隷を債務奴隷といいますが、ソロンの改革により廃止されました。
古代ギリシア最大の経済都市であるアテナイの場合、住民の4割近くは奴隷でした。土木や採鉱、農耕といった一般労働に従事し、アテナイの生産活動の全てを担っていました。アテナイは銀貨の発行が国の発展において重要な位置を占めていましたが、これは地元のラウレイオン銀山における奴隷労働の賜でした。
政治や軍務は全て市民が担い、奴隷は関わることができません。アテナイといえば民主主義という言葉が思い浮かぶかもしれませんが、奴隷に参政権はありませんでした。アテナイで奴隷は「生きた道具」といわれ、実際そのように扱われていたのです。
奴隷は物と同然に扱われるので売買・譲渡の対象でもありました。奴隷交易で栄えたデロス島では、1日に1万人以上の奴隷が取引され、莫大な利益を得ていたといわれています。
スパルタはアテナイよりさらに奴隷に依存した社会で、市民の10倍の数の奴隷(ヘイロータイ)が存在いました。市民1人あたり20人の奴隷を使役するなど膨大な数の奴隷を抱えていたので、市民は常に反乱を警戒していました。
スパルタで厳しい軍国主義教育が行なわれたのは、少数の市民が多数の奴隷を制圧できるようにする為です。軍事訓練の一環で奴隷を殺害することもあり、他のポリスより奴隷の扱いは過酷なものだったとされています。
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