オーストリアと日本の関係史

オーストリアと日本の関係史

オーストリアと日本の関係史は、オーストリア=ハンガリー帝国期の修好を起点に、音楽・科学・外交の連携へ広がった関係である。ウィーン楽派の受容や医学・工学分野の学術交流が文化的基盤を築き、体制変動期にも人的往来と貿易が継続した。本ページでは、オーストリアのハプスブルク帝国史やウィーン文化、中欧外交などを理解する上で重要なこのテーマについて、より詳しく探っていこうと思う。

オーストリアと日本の関係


オーストリア=ハンガリー帝国時代の1869年に、明治政府との間で日墺修好通商航海条約が結ばれたのが、両国の外交関係の始まりです。



ウィーン万博には日本人も参加

国交樹立から間もない1873年のウィーン万博には日本も参加し、名古屋城の金鯱や鎌倉大仏模型などインパクトある展示は、「ジャポニスム」として多くのオーストリア人の印象に残りました。


第一次大戦中に多くのオーストリア文化が流入

第一次世界大戦では敵対関係になりましたが、「青島の戦い」で多くのオーストリア人が収容されたことをきっかけに、音楽・料理など様々なオーストリア文化が日本で親しまれるようになっています。


第二次世界大戦後は屈指の貿易相手国に

第二次世界大戦ではアンシュルスでナチスドイツに同化され、ナチスドイツの敗戦とともに連合国に占領されたので、1955年まで両国の国交は断絶されていました。


国交回復後は経済・文化交流が進展し、日本はオーストリアにとって指折りの貿易相手国となった他、日本のサブカルチャーや伝統文化に興味を持つオーストリア人も増えてきてるなど、良好な関係が続いています。