ヨーロッパの歴史年表

ヨーロッパの歴史年表

 

先史時代、そして古代から現代にいたるまでに、ヨーロッパで起こった歴史上重要な出来事を年表形式にまとめています。ヨーロッパ史の全容をつかむことは、世界史、ひいては日本史を学ぶ上でも非常に重要な知識的基盤になるので、年表を繰り返し読んで、脳に刷り込んでおくことをおすすめします。

 

ヨーロッパの歴史年表

 

先史ヨーロッパ

マドレーヌ期(およそ1万8000年〜1万年前)に描かれたスペイン・アルタミラ洞窟の動物壁画

 

先史時代、つまり文字が成立する以前のヨーロッパのことに関しては、まだまだ謎はあるものの、考古学研究の進展でヨーロッパでは先史時代から人類による石器文化が営まれていたことがわかっています。

 

例えば、ジョージアのドマニシ遺跡からは180万年前の原人(ホモ・ゲオルギクス)の頭蓋骨・下顎骨や、原人が使ったと思われる打製石器・動物の骨などが出土していますし、ブルガリアでは約140万年前の狩猟採集民の避難所が、スペインでは90万年前の洞窟壁画が発見されています。

 

そして新石器時代(紀元前8500年頃〜紀元前3000年頃)になると、現ヨーロッパで最も優勢なインド・ヨーロッパ語族がヨーロッパに移住を開始し、紀元前3000年頃には青銅器の伝播にともない石器時代は終焉を迎え、ヨーロッパ最初の文明であるエーゲ文明が開花するのです。

 

60万年前〜4万年前

ムスティエ文化の繁栄

中期旧石器時代、西ヨーロッパを中心にムスティエ文化が栄えた。ムスティエ文化は、ネアンデルタール人により築かれた文化で、骨器、剥片によるナイフ、尖頭器(刺突具、削器など)などが特徴的。火を使ったり、死者を埋葬する文化もあったことがわかっている。

 

42000〜32000年前

オーリニャック文化の繁栄

後期旧石器時代、南ヨーロッパを中心にオーリニャック文化が栄えた。オーリニャニック分化はクロマニョン人により築かれた文化で、船の竜骨のような石器、鼻の形に似た削器、女神像、洞窟絵画、骨角器(槍や銛)などが特徴的。

 

33000年前〜24000年前

グラヴェット文化の繁栄

後期旧石器時代に、ロシア平原〜クリミア山脈付近を中心にグラヴェット文化が栄えた。尖頭器、女性像が多数作られたのが特徴的。

 

約24000年〜22000年前

ヴィレンドルフのヴィーナスが作られる

旧石器時代に「ヴィレンドルフのヴィーナス」と呼ばれる女性裸像がつくられた。像は胸や腹を強調したデザインが特徴的で、『生殖』や『出産』を象徴として崇拝の対象になっていたと考えられている。

 

前3000年頃

青銅器文化の繁栄

前3000年以降になり、それまでの石器に代わり銅器が使われるようになった。そして前2300年頃からは青銅器が使われるようになり、様々な青銅器文明が栄えた。

 

前2300年〜前1900年頃 ビーカー文化の繁栄

「ビーカー」と呼ばれる特殊な形の土器をもった人々(通称ビーカー民)の文化「ビーカー文化」が栄える。その起源についてはよくわかっていないが、ケルト社会の文化的基盤になったものと考えられている。

 

前1800年〜前1600年頃 ウーニェチツェ文化(中欧)の繁栄

中央ヨーロッパにて、武器や装飾品などの金属工業がさかんなウーニェチツェ文化が栄える。名前はウーニェチツェ文化の遺跡があるチェコのウーニェチツェ地区(プラハ)に由来。ストーンヘンジで有名な先史イギリス社会(後述)と交易を行っていたことがわかっている。

 

墳墓文化
前1600年〜前1200年頃には、ウーニェチツェ文化圏西部にて、「クルガン」と呼ばれる墳丘墓に死者を埋葬する墳墓文化が栄えた。

 

前1600年〜前1200年頃 トシュチニェツ文化(東欧)の繁栄

東ヨーロッパで青銅とフリントを使用する農耕文化トシュチニェツ文化が栄える。湖のほとりに集落を形成するのが特徴。スラブ民族の起源とされるチェルノレス文化との関係性の強さから、スラブ社会の形成に少なくない影響を与えたと考えられてる。

 

前1300年頃〜前500年頃 骨壺墓地文化の繁栄

トシュチニェツ文化の後継文化として、遺体を火葬し、遺灰を骨壺に収める「骨壺墓地文化」が栄える。骨壺とともに青銅製の武器や装飾品がともに埋葬された。

 

ルサチア文化
骨壺墓地文化圏のうち、ポーランドを中心とした東部一帯で栄えた文化をルサチア文化という。のちに古代ローマ人と覇権を争うイリュリア人がこの文化の担い手だったと考えられている。

 

ストーンヘンジの建設(イングランド)

 

イングランド南部にて「ストーンヘンジ」と呼ばれる環状列石(ストーンサークル)がつくられた。太陽崇拝を象徴する祭祀に利用されていたと考えられる。

 

 

古代ヨーロッパ

▲古代ヨーロッパ文明を象徴する建築物:左よりクノッソス宮殿/パルテノン神殿/コロッセオ

 

エーゲ文明の発祥(紀元前3000年頃)から始まり、古代ギリシア都市国家群の盛衰(紀元前8世紀〜前2世紀)を経て、古代ローマ滅亡(紀元5世紀)にいたるまでが、「古代ヨーロッパ」という時代区分になります。現在のヨーロッパ文明は古代ギリシア・ローマ文明を揺籃として形成されたので、この時代の歴史・文化を知ることは、ヨーロッパ史を学ぶ上で最も重要な知識的基盤となります。

 

前20世紀頃

紀元前3000年頃から前2000年頃にかけて、古代ギリシア最古の文明であるエーゲ文明が起こった。エーゲ海海域で栄えたいくつかの文明の総称で、クレタ文明キクラデス文明ミケーネ文明トロイア文明などがある。

 

キクラデス文明の繁栄

エーゲ海南部のキクラデス諸島にてキクラデス文明が栄える。大理石による女性像が最大の特徴。前2000年頃になると隆盛したクレタ文明と同化した。

 

クレタ文明の繁栄

前20世紀頃から前14世紀頃まで、エーゲ海のクレタ島でクレタ文明が栄えた。クレタの伝説上の王・ミノスにちなみミノア文明とも。豪華壮麗な宮殿、彩色豊かな陶器、線文字などが特徴で、異民族の侵入で滅ぼされるまで東地中海文明の中心をになった。

 


▲クレタ文明の象徴的建築物クノッソス宮殿

 

前15世紀頃

ミケーネ文明の繁栄

前15世紀から前12世紀頃まで、古代ギリシア本土のミケーネを中心にミケーネ文明が栄えた。バルカン半島から南下した古代ギリシア人の一派・アカイア人が文化の担い手となり、クレタ文明の影響を強く受けている。ただしミケーネ文明でつくられた王宮は、クレタ文明のものと異なり周囲が城壁で囲まれており、「外界からの脅威」を意識したつくりになっている。

 


▲ミケーネ文明の遺跡

 

前12世紀

前1200年のカタストロフ

前1200年頃、東地中海一帯で「前1200年のカタストロフ」と呼ばれる大規模な社会変動が起きる。ミケーネ文明をはじめ数々の地中海文明が滅びた。このカタストロフ以後400年間のヨーロッパ史は、文字資料が著しく少なく、実態が不明であることから「暗黒時代」と呼ばれる。

 

社会変動の原因は、「海の民の襲来」や「気候変動による経済衰退」などの説がありますが、はっきりとしたことはわかっていません。

 

鉄器の普及


前1200年のカタストロフでヒッタイトが滅亡すると、彼らの専売特許であった鉄器の生産技術が、東地中海各地に広まるようになり、青銅器時代が終わり鉄器時代が始まった。前1200年頃から、北方より製鉄技術を身につけたドーリア人が古代ギリシアに侵入し、定住するようになる。


 

 

前11世紀〜前8世紀

前11世紀から9世紀にかけての暗黒時代には、ヨーロッパに鉄器がもたらされ、青銅器文明(エーゲ文明)に代わる新しい文明の形成が開始された。

 

そして前8世紀になると、イタリアや古代ギリシア各地に小規模な政治共同体・都市国家(ポリス)が成立し、地中海を通じた交易により繁栄を享受した。

 

中でも政治的・文化的に成熟していた古代ギリシアは、ローマに多大な影響を与え、後にローマが地中海世界を征したことで、ヨーロッパの政治・文化の源流を成した。

 

前1104年 都市国家スパルタの成立


エウリュステネスが、ギリシャ・ペロポネソス半島南部に都市国家スパルタを成立させる。スパルタは「スパルタ教育」の語源となるほど、厳格な軍国教育が行われていたことで知られ、アテナイと肩を並べた古代ギリシアの最有力ポリスの一つでもあった。


 

前800年頃 都市国家アテナイの成立


バルカン半島南東部に成立した都市国家。立地を活かした海上交易で繁栄し、古代ギリシアの政治・文化・経済の中心となった。前5世紀に世界で初めて民主政を確立。


 

前753年 都市国家ローマの成立


イタリア半島中部に成立した都市国家。古代ローマが都市規模だったのは初期のみで、成立以後、急速に勢力を拡大していき、前3世紀にはイタリア半島全域を支配する領域国家に成長を遂げた。前2世紀にはギリシアを服属させ、前1世紀には地中海世界全域に勢力を広げる世界帝国に変貌した。


 

前6世紀

前509年 古代ローマ共和政に移行

成立以降、王政による統治が続いていたローマだが、「身分闘争」のすえ王政が打倒され、共和政がスタートした。以後、ローマ社会の実権は執政官(コンスル)率いる元老院が握るようになる。

 

前1世紀

前27年 古代ローマ帝政に移行

前1世紀になると、政治闘争や内戦により共和政による統治が不安定になった。独裁官ユリウス・カエサルが暗殺されたのち、彼の養子オクタウィアヌスが内戦を勝ち抜き、全権を掌握。政体を帝政に移行したため、ローマ帝国が成立した。

 

帝政移行後、200年間は内戦も戦争もない平和な時代が続きました。この安定と繁栄の時代はパックス=ロマーナと呼ばれます。

 

前4年 イエス・キリストの誕生


大工ヨセフとマリアの子として後のキリスト教の創始者イエス・キリストが誕生。


 

 

1世紀

30年頃 キリスト教の誕生


イエス・キリストは、ローマに対する反逆人の烙印を受け、エルサレムにて十字架刑に処されるが、「3日後に復活し、弟子たちの前に現れた」という伝説から、キリスト教が誕生した。


 

4世紀

301年 サンマリノ共和国の成立

南ヨーロッパのイタリア半島東部・エミリア=ロマーニャ州とマルケ州に囲まれた領域に位置する共和制国家および内陸国サンマリノ(正式名称:サンマリノ共和国)が成立。4世紀初頭、キリスト教弾圧を逃れ、ティターノ山にこもった石工マリヌス (聖マリーノ)らにより建国された。

 

376年 ゲルマン民族の大移動

アジア方面から西進してきた騎馬遊牧民フン人の圧力をうけ、ゲルマニアのゲルマン人が移住を開始(ゲルマン民族の大移動)。ローマ帝国領に侵入を繰り返すようになる。

 


▲ゲルマニアの場所

 


ローマ略奪(410年):民族移動の末にローマ帝国領内に大挙したゲルマン民族が、ローマ市内に攻め込んだ事件。

 

392年 キリスト教がローマ帝国の国教に

テオドシウス帝が、アタナシウス派キリスト教をローマ帝国唯一の国教とする。伝統的な多神教やミトラ教など、キリスト教以外の宗教の信仰を禁止した。

 

395年 ローマ帝国が東西に分裂

テオドシウス帝の死去にともない、ローマ帝国領が二人の息子に分け与えられ、西方領土の西ローマ帝国、東方領土の東ローマ帝国(ビザンティン帝国)が成立する。

 

成立直後の東西ローマ帝国の版図(ピンク領域が西ローマ帝国、青領域が東ローマ帝国)

 

分割と分裂
広大化したローマ帝国領の分割統治じたいは、ディオクレティアヌス帝(在位:284〜305年)の四分統治(テトラルキア)移以降はむしろ普通に行われていたことで、395年にはじめて「分裂」したわけではありません。しかし現実にはこの時をもって、東西のローマは別々の道(とくに宗教面)を歩みだすので、一般にこの呼び方が使われるのです。

 

5世紀

476年 西ローマ帝国の崩壊

ローマ帝国領の分割により誕生した西ローマ帝国だが、皇帝の乱立や、ゲルマン民族の侵入によって衰退に歯止めがかからず、476年ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって滅ぼされた。

 


オドアケルに帝冠を渡し退位させられる、古代ローマ最後の皇帝ロムルス・アウグストゥス

 

 

中世ヨーロッパ

西ローマ帝国の崩壊とともに、時代は「古代」から「中世」に移る。西ヨーロッパでは西ローマ帝国が崩壊したことで貨幣経済が機能を停止し、封建制のもと、農業中心の自給自足的経済が支配的になっていった。東ヨーロッパはというと、東ローマ帝国が健在だったため貨幣経済が機能し続け、オリエント世界との交流により、コンスタンティノープルを中心にしばらく繁栄を続けた。しかしそんな東西世界の秩序は、十字軍による東方遠征をきっかけに大きな変容を迫られることとなる。

 

5世紀

486年 フランク王国の成立


ゲルマン民族一派・フランク族のクローヴィス1世が北部ガリアを支配し、メロヴィング朝フランク王国を創始する。その後、他のゲルマン諸王国を征服していくことで勢力を拡大し、西ヨーロッパ全域に勢力の基盤を固めた。(画像は初代フランク王クローヴィス)

 

フランク王国の最大版図(804年頃)

 

8世紀

711年 イスラム勢力のヨーロッパ侵略

イスラム勢力が北アフリカからイベリア半島に侵入、ヨーロッパのキリスト教世界の脅威となる。732年にはピレネー山脈を越えて、フランク王国の征服を試みるも、メロヴィング朝宮宰カール・マルテルに阻まれた(トゥール・ポワティエ間の戦い)。

 

レコンキスタの開始

イスラム勢力がイベリア半島を征服したと同時に、キリスト教勢力によるレコンキスタ(国土回復運動)も開始される。

 

754年 教皇領の成立

フランク王ピピンがラヴェンナ総督府をローマ教皇に寄進し、ローマ教皇が主権者として君臨する「教皇領」が成立。教皇領は聖ペテロの遺産とされ、現在のバチカン市国の起源となった。

 

9世紀

843年 ヴェルダン条約の締結

カール大帝の子・フランク王ルートヴィヒ1世が死去。それにともないフランク王国領を三分割し、ルートヴィヒの息子たちが相続することを定めるヴェルダン条約が締結される。この条約により西フランク王国・中部フランク王国・東フランク王国が成立した。

 

ヴェルダン条約により画定した国境。青色領域が西フランク王国、緑色領域が中フランク王国、赤色領域が東フランク王国

 

870年 メルセン条約の締結

西フランクと東フランクの間で、ヴェルダン条約で三分された領土を、改めて画定するメルセン条約が結ばれる。この条約によって、西フランクは現在のフランス、東フランクは現在のドイツイタリア王国は現在のイタリアの原型となった。

 

メルセン条約により画定した国境。青色領域が西フランク王国、緑色領域がイタリア王国、赤色領域が東フランク王国

 

10世紀

927年 イングランド王国の成立

アングロ・サクソン七王国の一つウェセックス王国が全イングランドの統一を果たし、イングランド王国が成立。

 

962年 神聖ローマ帝国の成立

ドイツ王オットー1世が、「ローマ帝国の正式な継承者」として教皇に承認され、神聖ローマ帝国が成立。現ドイツおよびオーストリアなどドイツ系国家の前身となった。

 

987年 フランス王国の成立

西フランク王国のユーグ・カペーが西フランク王として即位し、カペー朝が創始。このカペー朝成立以降の西フランク王国を「フランス王国」と呼び、現在のフランス共和国の前身とする考え方が一般的。

 

 

11世紀

1096年 第一回十字軍の結成

ローマ教皇ウルバヌス2世が呼びかけで第一回十字軍が結成。イスラム勢力からの聖地エルサレム奪還を目的とした。フランス人を中心として40万の軍隊が参加し、1099年には奪還に成功。エルサレム王国を立ち上げた(まもなくイスラム勢力の反撃にあい1291年には滅亡)。

 

十字軍による遠征は第一回十字軍以後も何回も続きましたが、当初の目的が達成できたのは、第一回十字軍が最初で最後です。ほとんどは失敗に終わりました。ただ西欧諸国が共通の目的に取り組むことで「ヨーロッパ人」という一体感が生まれるきっかけとなり、ヨーロッパ史の重要な転機となったことは確かです。

 


第一回十字軍においてエルサレムを襲撃する様子(中世の写本より)

 

14世紀

1337年 百年戦争勃発


フランスの王位継承権や領土問題をめぐる対立から、フランスとイングランドの武力衝突が勃発。戦いは休戦をはさみながら断続的に100年以上続いたため、「百年戦争」と呼ばれる。はじめはイングランド優勢だったが、ジャンヌダルク(画像左の人物)の活躍などでフランスの巻き返しがはじまり、1453年にはイングランド全軍がフランスから撤退を余儀なくされたことで終結した。

 

もともとフランス王室に起源をもつイングランド王国ですが、百年戦争を機にフランスとの断絶が深まり、独自の道を歩むようになりました。イギリスがほかのヨーロッパ諸国と政治的・文化的に距離があるのは、こういった歴史的背景が関係しています。

 

1378年 教会大分裂(大シスマ)

ローマとアヴィニョンに教皇が並立し、カトリック教会が分裂状態に陥る「教会大分裂」が発生。ローマの教皇を支持する国(イングランド、ドイツなど)、アヴィニョンの教皇を支持する国(フランス、スコットランド、オーストリアなど)で、ヨーロッパが割れ、政治的混乱を生んだ。1417年のコンスタンツ公会議で分裂状態は解消されたが、教皇の権威をいちじるしく低下させる結果となった。

 


ウルバヌス6世(画像左)とクレメンス7世(画像右)の並立から教会大分裂が開始された。

 

1328年 モスクワ大公国の成立

イワン1世がモスクワを中心にロシアの統一を成し遂げ、モスクワ大公国が成立。ロシアの前身となった。

 

 

近世ヨーロッパ

15世紀

1453年 東ローマ帝国の崩壊

4世紀にローマ帝国の東方領土として成立し、5世紀の西ローマ帝国崩壊後も繁栄を続けた東ローマ帝国だったが、11世紀以降は衰退が始まり領土が縮小していく。そして1453年、オスマン帝国に最後の砦コンスタンティノポリスを攻め落とされ、これをもって紀元前753年に建国された古代ローマの命脈は完全に絶たれた。

 


オスマン帝国軍に包囲されるコンスタンティノープル

 

1479年 スペイン王国の成立

1479年1月、カスティーリャのイサベルとアラゴンのフェルナンドが結婚し、両国が統一したことによりスペイン王国が成立。

 

1492年1月 レコンキスタの完了

8世紀のイスラムによるヨーロッパ侵攻を機にはじまったレコンキスタ(再征服運動、国土回復運動)が、1492年1月のグラナダ陥落により完了。イスラム勢力はヨーロッパから一掃された。

 


ポルトガルによるレコンキスタの一つ「オーリッケの戦い」

 

1492年10月 コロンブスによる新世界の発見


レコンキスタによりイベリア半島を奪回し、大西洋航路が開かれたことで大航海時代が開始される。8月3日にスペイン王室と契約を結んだクリストファー・コロンブス(左図人物)がヨーロッパからの大西洋横断を開始し、10月12日にはアメリカ大陸到達に成功した。

 

1498年 バスコ・ダ・ガマによる東インド航路の発見

1497年7月、ポルトガル王の命でバスコ・ダ・ガマリスボンを出航し、喜望峰回りの東インド航路を発見した。これによりヨーロッパ人は海路で直接、アジアから香辛料を仕入れることが出来るようになった。

 


リスボンを出航するバスコ・ダ・ガマ

 

16世紀

1517年 ルターの「九十五ヵ条の提題」/宗教改革の開始

マルティン・ルターが、ローマ教会による免罪符販売に対する抗議として「九十五ヵ条の提題」と呼ばれる意見表明を掲げ、「宗教改革」に火をつける。宗教改革により様々なキリスト教の派閥(プロテスタント)が生まれた。

 


城教会の門扉に「九十五ヵ条の提題」を貼りだすルター

 

 

17世紀

17世紀は「17世紀の危機」と呼ばれるほど、気候変動・疫病・飢饉、戦争・革命が相次いだことによる政治・社会的混乱が続いた時代です。その一方で「科学革命」と呼ばれる科学技術の飛躍的発展もみられ、18世紀の技術革新「産業革命」を準備したり、17世紀末から広まった啓蒙思想が、後の数々の市民革命の原動力となったりと、ヨーロッパ史に重大な転換をもたらすきっかけとなった時代でもあることは覚えておきましょう。

 

1618年 三十年戦争の勃発

宗教改革以来の新旧両教徒の対立から三十年戦争が勃発。「最後で最大の宗教戦争」と呼ばれるが、戦争終盤では徐々に政治対立が主体となり、宗教戦争の性格をほとんど失っていた。主要な強国がほとんど参戦する、ヨーロッパ全土を巻き込む大戦となり、主戦場となったドイツは特に大きな打撃を被り、近代化が遅れる原因となった。

 


チェコプラハ近郊の白山にて行われた三十年戦争の「白山の戦い」(1620年)

 

1648年 三十年戦争の終結/ウェストファリア条約の締結

講和条約ウェストファリア条約で三十年戦争が終結。ドイツ領邦も1国と数え、計66か国が参加するヨーロッパ史上最大の国際会議にて、近代で最初の国際条約が結ばれた。この条約でフランス、スウェーデンは領土を拡大し躍進した一方、神聖ローマ帝国は多くの領土を失った上、諸邦の独立が決定したため、事実上の解体を余儀なくされた。

 


「近代国際法の出発点」といわれるウェストファリア条約の締結場面

 

1651年 英蘭戦争の勃発

オランダとイングランドの交易利権をめぐる対立から英蘭戦争が勃発。この年の第一次英蘭戦争を開幕戦として、第二次(1665〜67年)、第三次(1672〜74)、第四次(1780〜84年)と18世紀まで続けられた。この戦争の結果、オランダは海上交易の覇権を失い、一時代を築いた「オランダ海上帝国」は崩壊した。

 


第一次英蘭戦争のスヘフェニンゲンの海戦

 

近代ヨーロッパ

1719年 リヒテンシュタイン公国の成立

中央ヨーロッパのスイスとオーストリアに囲まれた領域に位置する立憲君主制国家リヒテンシュタイン(正式名称:リヒテンシュタイン公国)が成立。1719年、神聖ローマ皇帝が二つの公領(シェレンベルクとファドゥーツ)を統合してリヒテンシュタイン家に与えたことにより。

 

1775年 アメリカ独立戦争の勃発

イギリス植民地支配されていたアメリカアメリカ独立戦争が勃発。「アメリカ独立革命」とも。七年戦争後、財政難に陥ったイギリス、植民地に対し次々と課税を強化(茶法、砂糖法、印紙法など)。このような搾取政策に反発した13植民地により戦争が始められた。1783年にアメリカが独立を勝ち取り、1783年パリ条約で独立が正式に承認された。

 


アメリカ独立戦争の開幕戦「レキシントンの戦い」

 

1781年 ワットの蒸気機関の発明

イギリス・スコットランド出身のジェームズ・ワットが、新方式の蒸気機関を発明する。この発明により工場の立地や自然動力(人力、馬力、水力など)の限界がはずれ、機械制大工業が成立した。産業革命の始まりである。

 


蒸気機関を搭載した蒸気機関車は、工場生産の原材料・製品の輸送効率を大幅に上げ、産業革命の中核をなした。

 

1789年 フランス革命の勃発

フランスにて、ブルボン王朝の失政に対する貴族の反発からフランス革命が勃発。バスティーユ牢獄襲撃に始まり、フランス各地で様々な革命運動が巻き起こった。1791年には王政を打倒し、史上初の共和政体を成立させるにいたったが、93年に始まるロベスピエールの恐怖政治、94年のテルミドールの反動などで失速し、1799年ナポレオンのクーデターにより革命は終わった。フランスのみならず、ヨーロッパ近代史への転換点とみなされる。

 


フランス革命の号砲となった「バスティーユ襲撃」

 

 

19世紀

1801年 グレートブリテンおよびアイルランド連合王国の成立

グレートブリテン王国とアイルランド王国が合同し、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国(通称:イギリス)が成立した。(1922年に南アイルランドが独立し、「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」に改称)

 

1803年 ナポレオン戦争の勃発

ヨーロッパ征服を目論むナポレオンと、イギリスを中心とする対仏大同盟による武力衝突ナポレオン戦争が勃発する。一時ナポレオン軍がヨーロッパを席巻し、各地に傀儡国家が建設されるも、最終的にはワーテルローの戦いでナポレオンが敗れ終結した。

 


ナポレオン戦争最大の海戦「トラファルガーの海戦」

 

旧体制の崩壊・近代市民社会の成立

ナポレオンの野望は結局阻止されたが、ナポレオンによる支配は各国のナショナリズムを喚起し、ナポレオン法典の広まりとともに、旧体制の崩壊と近代市民社会の成立に繋がった。

 

1806年 神聖ローマ帝国の崩壊


ナポレオン戦争の最中、ナポレオンによりライン同盟が結成される。神聖ローマ帝国からライン同盟に参加した16領邦が脱退し、さらにフランツ2世(左図人物)が帝位を放棄したことで神聖ローマ帝国が崩壊※した。

 

ただしこの時点の「神聖ローマ帝国」とは、ほとんどまとまりをもたない名目だけの存在でした。ライン同盟以前に結ばれた三十年戦争の講和条約・ウェストファリア条約(1648年)で、帝国領は300以上の領邦に分裂し、すでにバラバラの状態にあったためです。

 

1814年 ウィーン会議の開催

ナポレオン戦争後の講和会議として「ウィーン会議」が開催される。200以上の国家の代表が参加。各国の利害が一致せず「会議は踊る、されど進まず」と揶揄されるほど会議は長引いたが、最終的には妥協し1815年ウィーン議定書が作成された。この議定書によりヨーロッパ各国の領土が再画定し、フランス革命以前のヨーロッパ秩序再建を目的とした反動体制(ウィーン体制)が構築された。ウィーン体制はオーストリアの宰相メッテルヒが主導したため、「メッテルヒ体制」とも呼ばれる。

 


ウィーン会議の様子(ジャン=バティスト・イザベイ作)

 

1815年 オランダ王国の成立

西ヨーロッパの北海沿岸・東をドイツ、南をベルギーに囲まれた地域に位置する立憲君主制国家オランダが成立。ナポレオン戦争後の1815年、ウィーン会議で独立が正式に認められたことにより。


 

1830年 ベルギー王国の成立

西ヨーロッパの北はオランダ、東はドイツ、南はフランスに隣接する北海沿岸 に位置する立憲君主制国家ベルギー(正式名称:ベルギー王国)が成立。1830年10月、ネーデルラント連合王国(オランダ)から独立を宣言したことにより(承認は1839年)。

 

1848年2月〜 諸民族の春/ウィーン体制の崩壊

ウィーン体制により抑圧されていた自由主義運動・民族主義運動が一挙に吹きあがり、ヨーロッパ各地で同時多発的に「諸国民の春」「1848年革命」と呼ばれる革命が勃発。1848年2月に起こったフランスの二月革命から始まり、ドイツの三月革命、東欧諸国の民族独立運動、イタリアにおけるイタリア統一運動(リソルジメント)と、運動は次々と連動していった。革命運動は、最終的には弾圧されたものの、ウィーン体制を崩壊させるに十分な衝撃を与え、近代ヨーロッパ史の重要な転換点となった。

 


1848年革命の始まりとなったフランスの二月革命

 

1848年9月 スイス連邦の成立

中央ヨーロッパのアルプス山脈沿い、ドイツ・オーストリア・リヒテンシュタイン・イタリア・フランスなどに囲まれた地域に位置する連邦共和制国家スイス(正式名称:スイス連邦)が成立。分離同盟戦争を経て、1848年9月に連邦憲法を制定したことにより。

 

1861年 イタリア王国の成立

1848年革命の一環として、サルデーニャ王国主導でイタリア統一運動が開始。その運動の過程で勃発した、三次におよぶ「イタリア統一戦争」の結果、1861年イタリア王国が成立した。

 

1890年 ルクセンブルク大公国の成立

西ヨーロッパの 北と西をベルギー、南をフランス、東をドイツに囲まれた地域に位置する 立憲君主制国家ルクセンブルク(正式名称:ルクセンブルク大公国)が成立。1890年11月にオランダとの同君連合を解消したことにより。

 

 

20世紀

1905年 ノルウェー王国の成立

北ヨーロッパのノルウェー海沿いおよび北海沿い、スカンジナビア半島の西部 に位置する 立憲君主制国家ノルウェー(正式名称:ノルウェー王国)が成立。1905年6月、スウェーデン=ノルウェー連合王国より独立を宣言したことにより。

 

1910年 ポルトガル共和国の成立

西ヨーロッパのイベリア半島に位置する共和制国家ポルトガル共和国が成立。1910年10月5日革命で君主政が倒れ、共和政に移行したことにより。

 

1911年 モナコ公国の成立

南西ヨーロッパの 地中海沿岸、フランス南東部のアルプ・マリティーム県に囲まれた地域に位置する 立憲君主制国家モナコ(正式名称:モナコ公国)が成立。1911年、憲法制定により立憲君主制に移行したことにより。

 

1914年 第一次世界大戦の勃発


帝国主義列強の対立とサラエボ事件がきっかけとなり、三国同盟(ドイツ・オーストリア・イタリア)、三国協商(イギリス・フランス・ロシア)の二陣営に分かれた国際戦・第一次世界大戦が勃発。ヨーロッパを主戦場として、およそ25か国が参戦する世界規模の武力衝突が展開された。戦争は4年半にわたり続き、1918年ドイツの降伏によって終結した。


 

1917年 ロシア革命/ロシア帝国の崩壊

第一次世界大戦参戦にともなう経済疲弊で国民の不満が噴出しロシア革命が勃発。ロシア皇帝が退位に追い込まれロシア帝国が崩壊した。

 


1917年2月国際婦人デーにあわせて女性労働者中心の「パンをよこせ」デモが起こり、ロシア革命の引き金となった。

 

1918年 フィンランド共和国の成立


北ヨーロッパ の ボスニア湾・バルト海・フィンランド湾に面し、スカンジナビア半島の内側に位置する 共和制国家フィンランド(正式名称:フィンランド共和国)が成立。1917年のロシア帝国からの独立を経て、1918年12月に君主政を廃止し、共和政に移行したことにより。

 

1922年 ソビエト連邦の成立

ロシア帝国が崩壊したのち、その後継国として、世界初の社会主義国ソビエト連邦が誕生。複数の共和国で構成される連邦国家で、ユーラシア大陸の北部、東欧、中央アジアなどを支配下におさめた。

 

1923年 トルコ共和国の成立


ヨーロッパとアジアにまたがる領域に位置する 共和制国家トルコ(正式名称:トルコ共和国)が成立。トルコ独立戦争を経て、1923年10月にローザンヌ条約により共和制に移行したことにより。

 

1927年 グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国の成立


現在に続く立憲君主制国家グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(通称イギリスが成立。1922年に南部アイルランドの独立を受け(アイルランド自由国の成立)、1927年に現在の名称に改称したことにより。


 

1929年代

2月 バチカン市国の成立

南ヨーロッパの イタリア中部の都市ローマに囲まれた領域に位置する 首長公選制国家バチカン市国が成立。1929年2月にラテラノ条約が締結されたことにより。

 

9月〜 世界恐慌

ニューヨークの金融市場ウォール街の株価大暴落をきっかけに、世界中で深刻な景気後退「世界恐慌」が起こる。各国を襲った不景気やそれにともなう戦時体制の構築が、のちに第二次世界大戦を引き起こす要因の一つになった。

 

1939年 第二次世界大戦の勃発


ナチスドイツのポーランド侵攻と、それを受けたイギリスフランスによる対独宣戦により第二次世界大戦が勃発。陣営は枢軸国(ドイツ・イタリア・日本など)と連合国(イギリス・フランス・アメリカ・ソ連など)に分かれ、第一次大戦に続き、東アジア、太平洋など世界規模に展開する戦いとなった。最初は枢軸国側に有利に進んだが、アメリカの連合国側への参戦により巻き返しが始まり、1945年5月にドイツが、同年8月に日本が降伏し、終結。

 

※第二次世界大戦は、帝国主義間の覇権争い、反ファシズム運動、民族自決運動など、様々な性格をもっている、世界史上最も複雑な戦争といっていいでしょう。この大戦をめぐってはいまだに様々な議論が行われています。

 

1944年 アイスランド共和国の成立

北ヨーロッパにあり、スカンディナヴィア半島の西・北大西洋上に位置する共和制国家アイスランド(正式名称アイスランド共和国)が成立。第二次世界大戦中の1944年6月、ナチスドイツに占領されたデンマークから独立したことにより。

 

1945年代

4月 オーストリア共和国の成立

中央ヨーロッパの ドイツ、スイス、ハンガリー、イタリアなどに囲まれた内陸部に位置する 連邦共和国制国家オーストリア(正式名称:オーストリア共和国)が成立。1945年4月にナチスドイツの支配から脱したことにより。1955年オーストリア国家条約が発効したことで完全に独立。

 

5月ナチス・ドイツの降伏

4月30日にナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーが自殺、5月にはドイツ軍全軍が降伏し、事実上第二次世界大戦のヨーロッパ戦線が終結した。

 

8月 第二次世界大戦の終結/冷戦の開始

8月15日、日本が降伏したことで6年にもわたった第二次世界大戦が終結した。また戦後、米・英・仏・ソによるドイツの分割統治体制が始まったのを機に、「鉄のカーテン」を境にヨーロッパが東西に分割される冷戦の時代が始まった。

 


冷戦中には両陣営で幾多もの核実験が繰り返された。

 

1946年 イタリア共和国の成立

南ヨーロッパに位置し、主な国土たるイタリア半島とその周辺のサルデーニャ島、シチリア島で構成された共和制国家イタリア共和国(通称イタリア)が成立。1946年に国民投票で王政廃止・共和政への移行が決定したことにより。

 

1949年4月 北大西洋条約機構(NATO)の結成

第二次世界大戦終結後、ヨーロッパの冷戦が激化する中、ソ連筆頭の社会主義圏(東欧諸国)ににらみをきかせ、アメリカ筆頭の資本主義国(西欧諸国)による軍事同盟「北大西洋条約機構」が結成される。North Atlantic Treaty Organizationの頭文字をとってNATOとも。アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、ベネルクス三国などが原加盟国となった。

 

1949年4月 アイルランド共和国の成立

グレートブリテン諸島の西・北大西洋上に位置する共和制国家アイルランド(正式名称:アイルランド共和国)は北西ヨーロッパが成立。1949年4月にイギリス連邦からの離脱、共和国成立を宣言したことにより。


 

1955年 ワルシャワ条約機構の結成


北大西洋条約機構への対抗として、ソ連を中心とした東欧諸国による軍事同盟ワルシャワ条約機構が結成される。

 

1959年 フランス第五共和制の成立

フランス第四共和政が崩壊し、現在に続くフランス第五共和政が発足。アルジェリア問題を巡る政治的混乱を経て、1959年10月にドゴールが大統領に就任し、強力な大統領権限を含む体制が確立したことにより。

 

1960年 キプロス共和国の成立

南ヨーロッパの東地中海上に位置する共和制国家キプロス(正式名称:キプロス共和国)が成立。1960年8月にイギリスからの独立を宣言したことにより。

 

1964年 マルタ共和国の成立

南ヨーロッパの 地中海中心部・中欧海峡に位置する 共和制国家およびイギリス連邦加盟国マルタ(正式名称:マルタ共和国)が成立。1964年9月のイギリスからの独立を経て、1974年に君主政を廃し共和政に移行したことにより。

 

1974年 ギリシャ共和国の成立

南ヨーロッパのトルコ、アルバニア、ブルガリア、北マケドニア共和国に囲まれたバルカン半島の南端に位置する共和制国家ギリシャ共和国が成立。軍事政権崩壊後の1974年11月、国民投票により君主制が廃止されたことにより。

 

 

現代ヨーロッパ

20世紀

1989年代 東欧革命

ソ連が国力を落とし支配力を弱めたことが背景となり、その支配下の東欧諸国(共産圏)で民主化・脱共産などを掲げる「東欧革命」が巻き起こった。80年代より始まったペレストロイカをはじめとするゴルバチョフの一連の改革が誘因。ポーランドの民主化を皮切りに、共産主義政権が次々と倒され、東西冷戦の象徴であったベルリンの壁も11月に崩壊。のちのソ連崩壊に繋がった。

 


東欧革命により東ドイツでも社会主義政権が倒れ、東西冷戦の象徴であったベルリンの壁が崩壊した。

 

9月 ポーランド共和国(第三共和国)の成立

中央ヨーロッパに位置する共和制国家ポーランド(正式名称:ポーランド共和国)が成立。89年9月にポーランド人民共和国と統一労働者党が壊滅し、第三共和制が発足したことにより。

 

10月 ハンガリー(第三共和国)の成立

中央ヨーロッパの カルパティア盆地に位置し、オーストリアやクロアチアなど7カ国に囲まれた 共和制国家ハンガリーが成立。1989年東欧革命でソ連支配からの脱却を経て、同年10月ハンガリー共和国憲法が施行されたことにより。

 

12月 ルーマニアの成立

東ヨーロッパのバルカン半島東部に位置する共和制国家ルーマニアが成立。ルーマニア革命で独裁国家ルーマニア社会主義共和国が崩壊したことにより。

 

1990年代

3月 リトアニア共和国の成立

北ヨーロッパのバルト海東岸に南北に並ぶバルト三国の中でもっとも南に位置する共和制国リトアニア(正式名称:リトアニア共和国)が成立。冷戦時代末期の1990年3月、ソ連からの独立を宣言したことにより。

 

7月 ベラルーシ共和国の成立

東ヨーロッパのロシア連邦・ウクライナ・ポーランド・リトアニア・ラトビアに囲まれた地域に位置する 共和制国家ベラルーシ(正式名称:ベラルーシ共和国)が成立。冷戦時代末期の90年7月にソ連からの独立を宣言したことにより。

 

10月 ドイツ再統一/ドイツ連邦共和国の成立

中央ヨーロッパのデンマーク、オーストリア、フランス、ベルギー、ポーランドなどに囲まれた西部に位置する 連邦共和国制国家ドイツ(正式名称:ドイツ連邦共和国)が成立。1989年11月のベルリンの壁崩壊を経て、1990年10月にドイツ再統一が達成されたことにより。

 

11月 ブルガリア共和国の成立

東ヨーロッパの ルーマニア・セルビア・北マケドニア・ギリシャ・トルコと隣接し、バルカン半島に位置する 共和制国家ブルガリア(正式名称:ブルガリア共和国)が成立。冷戦時代末期の90年11月にソ連支配から脱し、国名を「ブルガリア人民共和国」から「ブルガリア共和国」に改称したことにより

 

1991年代

4月 アルバニア共和国の成立

東ヨーロッパのバルカン半島に位置する共和制国家アルバニア(正式名称アルバニア共和国)が成立。91年4月、ソ連支配から脱して大統領制に移行し、アルバニア共和国に改称したことによる。

 

4月 ジョージアの成立

東ヨーロッパ(もしくは西アジア)の 南コーカサスに位置する 共和制国家ジョージアが成立。冷戦時代末期の91年4月にソ連支配から脱したことにより。

 

6月 ユーゴスラビア紛争の勃発

91年6月にスロベニア、クロアチア両共和国が民族自決を掲げ、ユーゴスラビア連邦からの独立を宣言。これをきっかけに「ユーゴスラビア紛争」が勃発し、冷戦終結後最大の民族紛争になった。

 

6月 クロアチア共和国の成立

東ヨーロッパのバルカン半島に位置する共和制国家クロアチア(正式名称:クロアチア共和国)が成立。91年6月にユーゴスラビア連邦からの独立を宣言したことにより。

 

6月 スロベニア共和国の成立

中央ヨーロッパのバルカン半島の北西部に位置する共和制国家スロベニア(正式名称:スロベニア共和国)が成立。1991年6月にユーゴスラビア連邦からの独立を宣言したことにより。

 

8月 アゼルバイジャン共和国の成立

東ヨーロッパ(西アジア)の コーカサス地方、カスピ海西岸に位置する 共和制国家アゼルバイジャン(正式名称アゼルバイジャン共和国)が成立。ソ連末期の91年8月に同国から独立したことによる。

 

8月 ラトビア共和国の成立

北ヨーロッパのバルト海沿岸に位置する共和制国家ラトビア(正式名称:ラトビア共和国)が成立。冷戦時代末期の1991年8月、ソ連からの独立を宣言したことにより。

 

8月 エストニア共和国の成立

北ヨーロッパのバルト海沿岸に位置する共和制国家エストニア(正式名称:エストニア共和国)が成立。1991年8月、ソ連からの独立を宣言したことにより。

 

8月 モルドバ共和国の成立

東ヨーロッパのルーマニア、ウクライナに囲まれた領域に位置する 共和制国家モルドバ(正式名称:モルドバ共和国)が成立。冷戦時代末期の1991年8月、ソ連からの独立を宣言したことにより。

 

9月 アルメニア共和国の成立

東ヨーロッパ(もしくは西アジア)の 南コーカサスに位置する共和制国家アルメニア(正式名称アルメニア共和国)が成立。91年9月アルメニア共和国としてソ連支配から脱したことにより。

 

9月 ウクライナ共和国の成立

東ヨーロッパの黒海およびアゾフ海沿岸に面する共和制国家ウクライナ(正式名称ウクライナ共和国)が成立。国名をウクライナ・ソビエト社会主義共和国から現国名に改称し、同年8月ソ連からの独立を宣言したことにより。

 

9月 マケドニア共和国(北マケドニア共和国)の成立

東ヨーロッパのバルカン半島に位置する共和制国家北マケドニア(正式名称:北マケドニア共和国)が成立。91年9月にユーゴスラビア連邦から「マケドニア共和国」として独立したことにより。2019年に「北マケドニア共和国」に改称。

 

12月 ソビエト連邦の崩壊/ロシア連邦の成立

1989年以降の東欧革命により、東欧諸国の共産主義体制が次々倒された。連邦を構成していた15の共和国の主権宣言、独立宣言が相次ぎ、91年12月にソ連は崩壊。冷戦は終結した。またソ連から脱退・独立したロシア共和国を盟主としたロシア連邦が誕生した。

 

1992年 ボスニア・ヘルツェゴビナの成立

東ヨーロッパのバルカン半島に位置する共和制国家ボスニア・ヘルツェゴビナが成立。1992年3月にユーゴスラビア連邦から独立を宣言したことにより。

 

1993年代

1月 スロバキア共和国の成立

中央ヨーロッパの 東をウクライナ、西をチェコに挟まれた地域に位置する 共和制国家スロバキア(正式名称:スロバキア共和国)が成立。1993年1月にチェコとの連邦を解消したことにより(ビロード離婚)。

 

1月 チェコ共和国の成立

中央ヨーロッパのポーランド・スロバキア・オーストリア・ドイツに囲まれた地域に位置する 共和制国家チェコ(正式名称:チェコ共和国)が成立。1993年1月にスロバキアとの連邦を解消したことにより(ビロード離婚)。

 

3月 アンドラ公国の成立

西ヨーロッパ・イベリア半島のフランスとスペインに挟まれたピレネー山脈山中に位置する 立憲君主制国家アンドラ(正式名称:アンドラ公国)が成立。1993年3月、憲法が制定され、ウルヘル司教とフランス大統領を元首とする議会民主主義制国家となることが決定したことにより。

 

※この歴史的な「ヨーロッパの共同統治体制」の起源となったのは、第二次大戦後の1952年に発足した欧州石炭鉄鋼共同体でした。ローマ帝国の崩壊以来、対立を繰り返してきたヨーロッパですが、二度の大戦を経て、ようやく協調の道を歩みだしたのです。

 

12月 欧州連合(EU)設立

マーストリヒト条約により、欧州共同体(EC)を基礎とする地域統合機構「欧州連合」が設立される。European Unionの頭文字をとってEUとも呼ばれる。ヨーロッパの経済統合を目的としており、1999年には加盟国によるヨーロッパ単一通貨ユーロが導入された。

 

21世紀

2006年 セルビア共和国、モンテネグロの成立


南東ヨーロッパのバルカン半島に位置する共和制国家セルビアモンテネグロが成立。2006年6月にセルビア・モンテネグロからモンテネグロが独立したことにより。

 

2008年 コソボ共和国の成立

東ヨーロッパのバルカン半島中部、セルビア・北マケドニア・アルバニア・モンテネグロなどに囲まれた領域に位置する共和制国家コソボ(正式名称:コソボ共和国)が成立。2008年2月にセルビアからの独立を宣言したことにより。

 

ヨーロッパ史まとめ

ここまでが先史時代から現代までのヨーロッパの歴史年表になります。いかがでしたでしょうか?

 

この長い歴史の中で、ヨーロッパは多くの変遷を経験しました。先史時代の神秘的な文化から始まり、古代文明の興亡、中世の暗黒時代、ルネサンスの光、そして産業革命による変革を経て、ヨーロッパは現代の姿を形成しました。

 

しかし、この地域の歴史は、戦争に明け暮れた時期も多くありました。特に二つの大戦―第一次世界大戦と第二次世界大戦―は、ヨーロッパだけでなく、世界に深い傷を残しました。これらの戦争は、国際関係における根本的な変化をもたらし、多くの国々がその後の復興と和解に努めることとなりました。

 

このような過去の経験から学んで、ヨーロッパは統合の道を歩み始めました。欧州連合(EU)の設立は、国境を越えた経済、政治、そして文化的な統合の象徴であり、長い間の対立と戦争に終止符を打つための試みでした。これは、平和、協力、共同の発展を目指すヨーロッパの新しい章の始まりを意味しました。

 

今後の課題としては、ヨーロッパが直面している経済的、社会的、環境的課題に対処し、さらなる統合と持続可能な発展を達成することが挙げられます。また、国際社会におけるヨーロッパの役割と影響力を維持し、拡大することも重要です。これからのヨーロッパは、過去の教訓を生かし、平和と繁栄の道を歩み続けることが期待されています。