マルセイユの歴史

マルセイユの港

 

マルセイユ(Marseille)は、フランス南東部に位置する都市で、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏の首府およびブーシュ=デュ=ローヌ県の県庁所在地です。地中海リオン湾沿いという立地を活かした海運業、歴史的建築物(聖ビクトル教会,ノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ聖堂,イフ城,ファロ宮殿など)を背景にした観光業がさかんな、“フランス第二の都市”でもあります。

 

マルセイユの時代変遷

 

古代

前6世紀頃、ポカイア人が「ラシドンの入江」と呼ばれる場所に建設したギリシア植民市マッサリア(Massalia)が起源です。成立以来、水運に恵まれた環境を活かし、地中海貿易の拠点として栄えるようになりました。前2世紀以降は、ローマのガッリア・トランサルピーナ属州の一都市「マッシリア(Massilia)」となり、東方オリエントとの交易がさかんに行われるようになりました。

 

ローマ内戦で衰退

前1世紀になると、カエサル派とポンペイウス派でローマが二分される内戦(ローマ内戦)が勃発し、マッシリアもマッシリア包囲戦などでそれに巻き込まれています。マッシリアは最終的に敗者となるポンペイウスに味方したので、戦後カエサルから積年の恨みとばかりに様々な制裁を受け、衰退していきました。

 

中世

西ローマ帝国崩壊後は、西ゴート、東ゴート、イスラム勢力、アンジュー家、アラゴン王国の支配を経て、15世紀フランス王国に併合。以降は東方やアフリカ、南米との貿易がさかんになり、自由港として再び栄えるようになりました。18世紀ペスト大流行による停滞はあったものの、18世紀後半には人口10万人を超える世界有数の一大貿易拠点として全盛期を迎えました。

 

近代

18世紀末〜19世紀初頭にかけては、フランス革命ナポレオン戦争で社会的混乱に陥るも、19世紀半ばからブルボン王朝による北アフリカ侵略政策の出発拠点となったことで、港湾施設が拡張されています。

 

さらに産業革命による工業発展、スエズ運河の開通など追い風となり、マルセイユはいっそうの繁栄を享受するのです。19世紀初頭には約11万人だった人口が、20世紀初頭には50万人にまで急増しています。

 

戦後

第二次世界大戦では大きな被害を受けましたが、戦後は新たな都市計画のもと、高層ビルや地下鉄の建設、宅地開発が進められ、2度の大戦により停滞していた人口も、再び増加に転じています。