キリスト教史

キリスト教

キリスト教は、紀元前7年〜前4年頃、中東ユダヤの地(当時はローマ帝国領)で誕生した、イエスを救世主(キリスト)として信じる宗教です。イエス・キリストを唯一神とする一神教であり、「同じ神を信仰している」という親近感が、慣習も宗教もバラバラだったヨーロッパを統一に導き、古典古代文化・ゲルマン文化に並び、ヨーロッパの同一性を支える重要な要素になりました。その一方で様々な分派を生み出した宗教改革以来、キリスト教の存在がヨーロッパに「多様性」とそれにもとづく「対立」をもたらしてきたことも重要です。

 

 

 

中世以前

キリスト教の使徒で、新約聖書の著者の1人として知られるパウロ

 

ローマ帝国時代に、熱心な布教活動を行ったのはパウロを始めとするイエスの弟子たちでした。アンティオキアを出発点に、小アジア、ヨーロッパ南部へとイエスの教えを広めて回り、貧困層・女性・奴隷などを中心に信者を増やしていきました。「ローマの栄光」の下、その光の届かぬ社会の片隅に追いやられていた人々にとって、闇の中に光を見出すイエスの教えは大変な救いになったのです。そして最初こそ異教として弾圧されましたが、392年正式にローマ帝国の国教となってからは、その政治力が推進力となり、瞬く間に地中海世界全域に広がっていきました。

 

中世以降

イスラム勢力からキリスト教世界の独立を守ったことで知られるトゥール・ポワティエ間の戦い(732年)

 

西ローマ帝国が崩壊し、時代が中世に移ってからは、その後も存続した東ローマ帝国、西ヨーロッパを統一したフランク王国、同国から分岐成立したフランス王国・神聖ローマ帝国大航海時代の先陣を切ったスペイン王国などが布教の担い手となりました。一時はイスラム勢力に囲い込まれキリスト教世界自体が危機的な状況にありましたが、レコンキスタ(再征服運動)によりそれを打破。キリスト教世界を守るにとどまらず、大航海時代の幕開けとともに布教活動は地球規模に拡大していったのです。

 

東西ヨーロッパ世界の形成

フランク王クロービスがカトリックに改宗(496年)したことで、西ヨーロッパに勢力の基盤を固めたフランク王国とローマ教会が結合し、現在の「西ヨーロッパ世界(カトリック文化圏)」の原型が形成されました。さらにその後、聖像崇拝論争の末、東ローマ帝国とローマ教会が分離したことで現在の「東ヨーロッパ世界(正教文化圏)」の原型が形成されました。

 

日本への布教

1549年、フランシスコ・ザビエルにより初めて日本にキリスト教カトリックがもたらされています。当時は戦国時代で、誰もが閉塞感と不安感を抱いて生きていたので、大勢の人々が救いを求めてキリスト教に入信しました。しかしその後豊臣政権が信者の弾圧を始めたので、普及率は1パーセント未満に落ち込みました。