チェルネンコとは何をした人?〜ブレジネフ路線を継承するも〜

 

チェルネンコの基本情報

 

本名:コンスタンティン・ウスチーノヴィチ・チェルネンコ
誕生:1911年ボリシャヤ・テシ村にて
死没:1985年モスクワにて
在任:1984年 -1985年
政策:ブレジネフの政策継承/デタント(緊張緩和)/ロサンゼルス五輪への不参加

 

チェルネンコ(1911年 - 1985年)はソ連の政治家で、ブレジネフ体制で要職を歴任し、ブレジネフの死後、およそ1年というわずかな間、最高指導者の地位にいた人物です。

 

シベリア・クラスノヤルスクの農家に生まれ、1929年青年共産同盟に参加、1931年共産党に入党しました。48年ソ連構成共和国のモルダビア社会主義共和国の党中央委員会に就任、60年代からは党中央委員会総務部長としてブレジネフ体制を支えるようになりました。

 

ブレジネフの跡を継いだアンドロポフが、就任間もなく病に倒れたので、84年に書記長、ソ連最高会議幹部会議長となり、最高指導者の地位に。しかし自身も在任期間わずか1年で死去し、体制はゴルバチョフに引き継がれたのです。

 

チェルネンコの葬儀

チェルネンコが最高指導者としての地位についていたのは1年強。前任のアンドロポフと同じく、就任後病気の悪化が急速に進み逝去したためです。なので業績らしい業績はないのですが(せいぜいがゴルバチョフを後継に指名したことくらい)、葬儀はゴルバチョフ葬儀委員長のもと盛大に行われ、イギリスのマーガレット・サッチャーなど西側各国の首脳も参列しています。

 

アンドロポフの葬儀に参列した時点で健康状態はかなり悪く、同葬儀に参列し、チェルネンコと面会したイギリス社民党党首デイヴィッド・オーウェンは「チェルネンコ氏は肺気腫を患っていると思われる。」と診断しています。この1年後チェルネンコは肺気腫で亡くなっているので、正確な見立てであったことが証明されました。

 

チェルネンコの死で「壮大な葬儀の時代」が終わったといわれています。