モスクワ大公国とキエフ大公国の違いは?

スラブ系の民族国家であるモスクワ大公国とキエフ大公国は、それぞれ異なる時期、異なる地域で成立し、異なる歴史を経てきました。それぞれの国家は、その成立と発展において特有の要素を持ちつつ、スラブの文化と正教の伝統を共有しています。では、モスクワ大公国とキエフ公国の違いについて詳しく見ていきましょう。

 

 

地理的・時代的背景

まず最初に考慮すべきは、これら二つの公国が存在した地理的な位置と時代です。キエフ公国は、現在のウクライナベラルーシ、西部ロシアにまたがる地域に9世紀から13世紀にかけて存在しました。一方、モスクワ大公国は13世紀から16世紀にかけて、現在のロシア中央部、モスクワを中心に存在しました。

 

発展の経緯

キエフ大公国は「ルーシの母」とも称され、スラブのキリスト教化を推進し、初期のスラブ文化を育んだ国家として知られています。しかし12世紀頃から衰退が加速し、1240年モンゴル帝国の侵攻を受け崩壊しています。一方、1263年成立のモスクワ大公国は「タタールのくびき」を逃れ、周辺の小公国を併合しながら領土を拡大していきました。そして、統一ロシア国家の基礎を築き、後のロシア帝国へと続く道を開きました。

 

政治的な位置付け

キエフ大公国は、多くの小さな公国が共存し、最も影響力のある公(大公)がキエフに座するという形をとっていました。しかし、モスクワ大公国は中心的な権力を持つ大公が存在し、他の公たちはその支配下にありました。

 

これらの違いから見て取れるように、モスクワ大公国とキエフ大公国は、地理的・時代的背景、発展の経緯、政治的な位置付けという3つの主要な面で異なっています。キエフ大公国は初期のスラブ文化とキリスト教伝統を築き上げた一方、モスクワ大公国はモンゴルからの自立と領土拡大を遂げ、ロシア国家の発展の基礎を築きました。