東ローマ帝国はなぜ偶像崇拝を禁止していた?

東ローマ帝国の偶像崇拝禁止

東ローマ帝国では8世紀から9世紀にかけて偶像崇拝禁止運動が起こり、聖像の破壊と神学論争が続いた。この政策は教会と皇帝の権力関係にも影響を与えた。本ページでは、このあたりの歴史的背景とヨーロッパ文化との関連について詳しく掘り下げていく。

東ローマ帝国はなぜ偶像崇拝を禁止していた?

726年、東ローマ帝国が群像崇拝を禁止する聖像禁止令を発布したのはなぜですか?

東ローマ皇帝レオン3世が聖像禁止令を出したのは、東ローマ帝国の領土を脅かし、同じく偶像崇拝を禁止するイスラム勢力に対抗するためといわれています。


キリスト教も元の教えでは偶像崇拝を否定しているので、原則に立ち戻れば屈強なイスラム教徒にも打ち勝てると考えたのです。禁止令に従わない教会や修道院から土地を没収し、領民を兵士にすることで、防衛力を高めることもできました。


ゲルマン人への布教に聖像を活用していた西方のローマ・カトリック教会は、これに強く反発したため、聖像破壊(イコノクラスム)を行う者を破門にするなどして対抗。以来東西の教会の対立が深まり、西ヨーロッパ世界と東ヨーロッパ世界の分離が生じ始めるのです。


東ローマ帝国の聖像破壊(イコノクラスム)