フランスにおける1848年革命

フランス二月革命

 

1848年革命は、フランス二月革命きっかけにヨーロッパ各地で発生し、ウィーン体制を崩壊させた革命です。フランスではこの革命により七月王政崩壊に至りますが、それまで見られなかった新たな対立構造が現出する結果となりました。今回は、1848年運動の始まりとなったフランスの1848年革命の概要と革命のその後について簡潔に説明していきます。

 

 

 

二月革命の勃発

七月王政崩壊

始まりは1830年より続いていた七月王政に対する抵抗運動でした。背景には国王ルイ=フィリップと首相ギゾーの下で特権階級を優遇する政治を行い、市民に対する選挙権が制限されていたことにあります。

 

このことに不満をもった市民層は選挙法改正運動を起こし、ルイ=フィリップを退位に追い込み、共和政を成立させました。この七月王政崩壊までの一連の流れを二月革命と呼びます。

 

六月暴動

二月革命で王政は打倒されましたが、今度はブルジョア共和派と労働者階級の対立が目立つようになり、普通選挙で勝利したブルジョア派が国立作業場の廃止に踏み切ったことをきっかけに、労働者階級による六月暴動が勃発しました。

 

この暴動は歴史上最初の労働者蜂起であり、ブルジョアとプロレタリアートの最初の大規模な階級闘争でした。社会主義勢力の伸長を恐れた臨時政府は軍隊の力で暴動を鎮圧しています。

 

二月革命のその後

六月暴動の鎮静化後、ナポレオン・ボナパルトの甥ルイ・ナポレオンが大統領となりますが、議会との衝突で思うように改革が進められません。そこで彼は民衆の支持を背景に1851年クーデターを決行し、独裁権力を掌握。皇帝ナポレオン3世として即位し、第二帝政を創始したのです。