フランスにおける1848年革命

1848年革命は、フランスの二月革命きっかけにヨーロッパ各地で発生し、ウィーン体制を崩壊させた革命です。フランスではこの革命により七月王政崩壊に至りますが、新たな対立構造が現出する結果となりました。今回は、1848年運動の始まりとなったフランスの1848年革命の概要と革命のその後について簡潔に説明していきます。

 

 

フランスの二月革命

七月王政崩壊

二月革命は当時の七月王政に対する抵抗運動でした。背景には、七月王政の国王ルイ=フィリップと首相ギゾーの下で特権階級を優遇する政治を行い、市民に対する選挙権が制限されていたことにあります。

 

このことに不満をもった市民層は選挙法改正運動を起こし、ルイ=フィリップを退位に追い込みます。これにより七月王政は崩れ、臨時政府が成立、共和政が宣言されたのです。

 

六月暴動

臨時政府ではブルジョア共和派と労働者寄りの社会主義者ルイ=ブランが参加していました。次第に両派の対立が深刻になり、四月普通選挙で勝利したブルジョア派は国立作業場の廃止に踏み切りました。

 

これに対し労働者は六月暴動を引き起こしました。この暴動は最初の労働者蜂起であり、ブルジョアとプロレタリアートの最初の大規模な階級闘争でした。

 

この暴動が社会主義へ向かうことを恐れた臨時政府は軍隊の力でこれを抑え、鎮圧しました。

 

革命のその後

六月暴動の鎮静化後、共和派が一掃されました。これを機にナポレオンの甥、ルイ=ナポレオンが大統領選挙に立候補し、大統領に当選します。

 

ルイ=ナポレオンは権力強化を図り、1851年にクーデターを決行し、パリで発生したクーデター反対の市民蜂起を鎮圧しました。

 

第二帝政の開始

議会が解散されたことで第二共和政は終了し、12月21日の国民投票で圧倒的多数でクーデターを支持する結果となり、ルイ=ナポレオンはナポレオン3世として即位し、第二帝政が開始されることとなるのです。