そもそも三部会というのはフィリップ4世がローマ教皇と対立した際、世論を味方につけるために設置したものです。各身分の代表者を集めて、課税などの取り決めを行い、それをもとに国王が発令することで、国民を納得させていました。
しかしルイ13世(在位1610〜43年)以降、絶対王政が確立され、王が絶対的権力を持つようになると、世論の意見など聞く必要がなくなったため、三部会は用なしに。1614〜15年の開催を最後として停止されています。
国内の抵抗勢力を制圧し、絶対王政を確立したルイ13世。彼の治世初期で一度開催されたのを最後に、三部会は175年召集されなかった。
それでもフランス革命直前の1789年、175年を経て再び三部会が招集されることとなったのは、当時のフランスが相次ぐ戦争で財政危機に瀕しており、国民生活が苦しくなる中、王権がかつてないほど弱まっていたためです。
しかし大昔の制度なので、議決方法の不平等を大揉めし、その結果第三身分が分離、国民議会へと変貌して、フランス革命を主導していくことになるわけですね。
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