一番の理由はやはりイスラム勢力が強かったことでしょう。
ヨーロッパにおける、ルネサンス以降(14世紀以降)の科学技術の進展というのは、東方オリエント世界からもたらされた医学や自然科学、アラビア数字などの知識が土台にあります。
つまり遠征が行われた当時、イスラム勢力の支配する東方オリエント世界は、ヨーロッパ世界をはるか凌駕する文明レベルを誇っていたのです。
中世における数学の天才といわれるレオナルド・フィボナッチ(1170年頃 - 1250)。東方オリエント世界に留学した経験から、『算盤の書』を書き、アラビア数字のシステムをヨーロッパに導入。ヨーロッパにおける数学に革新をもたらした。
半ば奇襲的に行われた第一回遠征の成功が例外なのであり、先進文化を持つイスラム勢力の本拠に遠征して戦うこと自体、もともと無謀じみていたといえます。
第一回十字軍の侵略をうけて、それまで反目しあっていたイスラム勢力は、反カトリックで団結し、連合を結成しました。エルサレムはただでさえ、遠征軍が帰国してしまって防御が手薄な中だったので、一枚岩となって反撃されると、あっさりと再征服されてしまったのです。
そして劣勢となった十字軍は本来の目的とは関係のない東ローマ帝国やエジプトへの襲撃を行うなど迷走し、派遣国は財政的にカツカツに、東方ラテン国家は次々とイスラム勢力に落とされていきます。
もともとの宗教的な目的(=エルサレム奪還)も達成できそうになく、経済的にも立ち行かなくなったことで、これ以上続ける意味がないということで、第8回遠征を最後に中止されたというわけです。
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