東ローマ帝国というのは、ローマ帝国の東方領土として成立した国です。そしてローマ帝国の東方というのは、かつてアテナイやマケドニア王国などのギリシア系国家が繁栄していた地域で、前2世紀にローマに征服された後も、ギリシア系住民が中心なのは変わりませんでした。ギリシアは文化的にはローマを圧倒していたので、政治体制以外の部分で、大方の伝統は維持されたのです。
そのためローマ帝国が東西に分離し、西方ラテン文化圏との繋がりが薄くなると、ギリシア化が進行するのは必然的といえました。歴史を考えると「回帰」といってもいいかもしれません。
東ローマ帝国の別名「ビザンツ帝国」は、古代ギリシアの都ビュザンティオンに由来
成立初期こそ伝統的なローマのラテン文化が維持されていましたが、5世紀には帝国の役人にとってラテン語の習得は必須ではなくなり、7世紀には正式にギリシア語に公用語が変わっています。以降、東ローマ帝国は古代ギリシアの都「ビュザンティオン」に由来する「ビザンツ帝国」と呼ばれるようになるのです。
とはいえ、東ローマ帝国の住民はローマ帝国時代から引き続きローマ市民権を持っていたため、あくまで自分たちのことは「ローマ人」と認識していました。
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