ジャージー島の歴史

ジャージー島

 

ジャージー島は、イギリス海峡南部、チャンネル諸島に属するイギリス領の島です。温和な気候と肥沃な土壌に恵まれていることから作物(ジャガイモ、トマトなど)の栽培、ジャージー種乳牛の生産などがさかんで、風光明媚な景観とその過ごしやすさから、古来より保養地としても有名です。そんなジャージー島はどのような歴史を辿ってきたのでしょうか。

 

 

名前の由来

正式名称は「Bailiwick of Jersey」で、「Bailiwick」というのは「代官」という意味になります。

 

支配の歴史

古代

共和政期において、ローマ人による支配を示す証拠はありませんが、海岸では、硬貨を始めとした考古学的遺物が発見されていることから、初期からなんらかの形で、ローマ人がジャージー島に関わっていたことは確かです。

 

ローマ帝政期

また帝政移行後、アウグストゥスがガリアを4つの州に分割した際、ジャージー島はガリア東部のガリア・ルグドゥネンシスの一部になっています。

 

中世

9世紀から10世紀にかけては、ヴァイキングの根拠地となっていました。その後は11世紀のノルマン・コンクエストにともない、ノルマン朝イングランド王国の一部となり、以来イギリス領として定着しました。

 

近代

第二次世界大戦中の1940年から45年にかけて、チャンネル諸島がナチスドイツの侵攻にあい、ジャージー島も占領されました。イギリス海峡に位置する島々が抑えられたことで、イギリスはナチスドイツの軍事的脅威を、より身近なものとして感じるようになったのです。