クレオンとは何をした人?〜デマゴーグの典型〜

クレオンの基本情報

 

国籍:アテナイ
誕生:前???年
死没:前422年トラキアにて
政治姿勢:デマゴーグ(扇動政治)
政策:デロス同盟の維持,貢租徴収強化

 

クレオン(前???年 - 前422年)は古代ギリシア・アテナイの政治家で、「デマゴーグ」の典型として知られる人物です。皮なめし業者の裕福な家に生まれ、ペリクレスの死後権力を掌握、民衆指導者(デマゴーグ)となりました。デロス同盟の維持にこだわり、アテナイからの離反を企てたミュチレネ男子市民全員の処刑・女子供の奴隷化を提案したり、アテナイの帝国化を揶揄したアリストファネスを告訴するなど、非情かつ強権的な政治姿勢が目立ちました。

 

とりわけスパルタへの敵対姿勢が強く、前425年にはスパルタから提案された和議を拒否してまで戦争継続にこだわっています。その結果、将軍としてトラキア転戦中にスパルタとの戦いに敗れ戦死するという運命を迎えました。彼の政治姿勢は喜劇詩人のアリストファネスの『騎士』などで「デマゴーグ(扇動政治)」として繰り返し批判され、もともとは「民衆指導者」という意味でしかなかった「デマゴーグ」という言葉に悪いイメージが定着する結果となりました。

 

クレオンとデマゴーグ

クレオンは裕福な皮鞣業者の子としてアテナイに生まれました。政界進出のために弁論術の習得を始め、下層市民に支持を訴えるデマゴーグ(民衆指導者)として台頭。ペロポネソス戦争中、ペリクレスが死ぬと、代わって政治の実権を牛耳るようになります。

 

彼はデロス同盟の離反者には厳罰を課す姿勢を徹底しており、ミュティレネの反乱を受けて、ミュティレネの男子全員を奴隷にし、女子供は奴隷にしてしまおうという無慈悲な提案を可決に導いています(のちに民衆の反対により撤回)

 

デマゴーグというのは民衆(デーモス)の指導者という意味にすぎませんでしたが、デマゴーグであった彼の悪しきイメージがデマゴーグという言葉にネガティブなイメージを定着させてしまいました。今ではデマゴーグというと衆愚政治家を指す言葉として使われていますえ。