オスマン帝国は最初アナトリア北西部の小国として成立しましたが、アルバニア、ブルガリア、ギリシア、セルビアなど周辺地域を次々征服していくことで帝国然とした領土を持つようになります。
最大版図を誇った16世紀末〜17世紀前半頃には、アナトリアだけでなくバルカン半島全域やエジプトまで支配下に治め、アジア・ヨーロッパ・アフリカにまたがる大帝国を体現していたのです。
とりわけメフメト2世(在位1451?1481年)が、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)を滅ぼし、旧ビザンツ帝国領全域を支配下におさめたことは、帝国の繁栄・拡大の大きな足掛かりとなりました。
ちなみにオスマン帝国の版図は、かつて古代世界で強盛を誇った古代ローマ帝国の4分の3にもおよびます。人口もヨーロッパ最大規模であり、首都イスタンブールには人口50万人を超える大都市として繁栄していました。
オスマン帝国最盛期(16世紀)の版図
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