フランス第三共和政の特徴

第三共和政初代大統領アドルフ・ティエール

 

フランス第三共和政は、第二帝政が崩壊した1870年から1940年までの70年間続いたフランスの政体です。王や皇帝の復活を目論む派閥が依然力を持っており、情勢は終始不安定なものでした。

 

 

 

第三共和政の成立

1870年、普仏戦争で前線に出たナポレオン3世が捕虜となり失脚したため、1852年から続いていた第二帝政は崩壊。臨時政府が発足し、行政長官にティエールが選ばれました。ティエールが休戦交渉を進める中、反発した労働者による自治政府パリ・コミューンが立ち上がるなど混乱はありましたが、これを鎮圧し、ティエールを大統領とする第三共和政を創始しました。

 

第三共和政の治世

第三共和政は立場の違いが際立つ政体となり、小党分立でなかなか政治的に安定しませんでした。それに加えて軍国主義者によるブーランジェ事件(1886年?1889年)、汚職がともなうパナマ事件(1892年)の発生などで、第三共和政に対する不信も強まっていきました。

 

ドレフュス事件の発生

1894年、ユダヤ系のドレフュス大尉が、スパイ容疑をかけられ、無実を訴えるも有罪とされたドレフュス事件が発生。その後真犯人が現れますが、軍部がこれを隠蔽してしまいます。ドレフュスの有罪判決後、ゾラ率いるドレフュス擁護派から、再審要求する運動やこれに対し、反ユダヤ主義による反対運動も始まり、国内は分裂状態に。さらにはユダヤ人たちによる、自分たちの国家を設立しようとする運動シオニズムも行われるなど、大規模な政治的混乱が巻き起こります。

 

ドレフュスの無罪判決で共和政は安定期に

そして最終的には1906年にドレフュスの無罪が確定したことで、ドレフュスを攻撃していた軍部と保守派が信用を失墜させ、相対的に共和派が力を得て、不安定だった第三共和政はようやく安定するようになるのです。

 

第三共和政の終焉

1939年第二次世界大戦が勃発し、翌40年にナチスドイツに占領されると、ナチス傀儡といわれるヴィシー政府発足とともに第三共和政は崩壊しました。