神聖ローマ帝国・プロイセン・ドイツの違いとは?

 

ドイツ(正式名称はドイツ連邦共和国)は、第1の神聖ローマ帝国、第2のドイツ帝国、ヒトラーナチス国家を第3帝国として、歴史を刻んできました。ここでは、神聖ローマ帝国・プロイセン・ドイツの違いについて簡潔に解説していきます。

 

 

 

神聖ローマ帝国とは

神聖ローマ帝国の国旗

 

神聖ローマ帝国とは、962年から1806年まで続いた帝国です。帝国とはいえ多数の領邦国家と帝国都市によって構成されており、それらは諸侯により治められていたため、国としてのまとまりはありませんでした。

 

カトリック派の神聖ローマ帝国とルターの主張から生まれたプロテスタント派による宗教改革や、その後の三十年戦争を経て神聖ローマ帝国は衰退し1806年に消滅しました。

 

プロイセンとは

プロイセンの国旗

 

プロイセン王国とは、ドイツ騎士団領とブランデンブルク選定国が合併してできた王国で、神聖ローマ帝国の領邦の一つプロイセン公国を前身としています。

 

スペイン継承戦争にてオーストリアを支援したことから王国へと昇格して勢力を強めましたが、ドイツ統一までには至りませんでした。

 

後にビスマルクが首相に就任したことで、デンマーク戦争、普墺戦争、普仏戦争を経てプロイセン王国はドイツ統一を果たし、1871年にドイツ帝国を成立させました。

 

ドイツとは

ドイツの国旗

 

ドイツ帝国として経済の発展を目指したビスマルクは、重工業化を進め、イギリスを追い抜き世界2位の工業生産数となりました。その後、第一次世界大戦で敗戦し、ドイツ帝国はワイマール共和国となりましたが、敗戦国としての賠償問題により国内の混乱が続きます。

 

後に訪れる世界恐慌の混乱に乗じてヒトラーが政権を握り、ワイマール共和国が崩壊、第二次世界大戦が引き起こされますが、これにも敗戦してしまいます。ドイツは東西に分裂、1989年のベルリンの壁崩壊によって東西ドイツが統一され、ドイツ連邦共和国となったのです。