東ローマ帝国衰退の一因となった感染症の流行について

「人類の歴史は戦争の歴史」と言われるように人間は何千年も前から戦争を行い多くの命を奪ってきました。

 

しかし、戦争以外にも多くの人々の命を奪ったものがあります。

 

それが感染症です。

 

感染症と言えば、最近では2020年から世界中でパンデミック(大流行)を起こした新型コロナウイルスが記憶に新しいと思いますが、過去にも世界ではペスト菌・ハンセン病・梅毒・コレラなどによって流行が起こってきました。

 

今回は東ローマ帝国を衰退させた一因といわれるペストによる感染症について解説します。

 

 

人類史上初めてのペストによるパンデミックは東ローマ帝国で起こった?

感染症の中で最も人類に被害を与えたのがペストです。

 

ペストは記録にのこっているだけでも過去3度のパンデミックを起こしており、その1番最初にパンデミックが起こったのが東ローマ帝国と言われています。

 

このパンデミックは542年から549年にかけてユスティニアヌス1世の統治下で起こりました。

 

ユスティニアヌス1世の統治下の東ローマ帝国は、その歴史の中で最大の領土もっていたこともあり帝国各地に広がっていきました。

 

当時の世界人口の半分が死亡した言われており、とくに首都コンスタンティノープルでは542年から543年にかけて多いときには毎日5000人の死者を出したと言われています。

 

また、皇帝コンスタンティヌス1世自身も感染したと言われています(軽症で数ヶ月で回復)。

 

ペストによるパンデミックによって東ローマ帝国内では農業生産の停止などが起こり国力を大幅に落としたと言われています。

 

ちなみに、このパンデミックはコンスタンティヌス1世の統治下で起こったこともあり「ユスティニアヌスの疫病」とも呼ばれています。

 

新説!東ローマ帝国のペスト被害は過大評価?

この東ローマ帝国を襲ったペストのパンデミックですが、2019年に発表された研究結果でそこまで甚大な影響を与えていなかったということが発表されました。

 

研究には歴史学、考古学、科学の専門家が集まり、当時の史料をもとに貨幣の流通記録、遺体の処理や埋葬の仕方などのデータを調べました。

 

とくに死者の埋葬に関しては流行の前後を比べても大きな変化はなく、複数人を埋葬した墓は中世に流行した時の方が多いと言われています。

 

また、農業生産面でも湖や沼の底から見つかった穀物の花粉を調べ、中世の流行の時と比べて死者数に対して花粉量は減っていないということも分かりました。

 
ページの先頭へ戻る