ロシア革命のきっかけとなったのは第一次世界大戦です。ヨーロッパ全土に延焼したこの戦争に、ソ連の前身ロシア帝国はイギリス・フランスと共に協商国側として参戦しましたが、この選択が結果的に帝国の崩壊とソ連の誕生に繋がることとなります。
戦争は想定外の長期戦となり、社会のあらゆるリソースを注ぎ込む総力戦だったため、国民の生活は徐々に圧迫され、増え続ける犠牲者と相まって、帝政に対する不満が高まっていきました。とくに戦争には農民が多く動員されていましたので、農業生産性が低下していたことによる食糧不足は深刻でした。
そんな状況の中、1917年3月(ロシア歴2月)、ペトログラードで食糧を求めるストライキが発生。ストライキの動きは全国規模に広がり、その中で労働者や兵士の指導者で成るソヴィエトと呼ばれる評議会が結成、蜂起を主導するようになります。このいわゆる二月革命でロシア帝政は崩壊してしまいました。
二月革命で帝政が崩壊すると、臨時政府とソヴィエトという二つの権力が並立する二重権力という状態になります。しかし臨時政府は戦争を継続しようとしたため、不満をもった国民は臨時政府に代わる新たな指導者を求めました。それに応じたのが社会主義者でロシア社会民主労働党ボリシェヴィキ派のウラジミール・レーニンなのです。
そして彼は即時停戦を訴え、「すべての権力をソビエトへ」のスローガンに、1917年11月(ロシア歴10月)、十月革命で臨時政府を打倒。ソビエトを最高権力に置くロシア・ソビエト連邦社会主義共和国を成立させました。
権力の座についたレーニンは地主や教会の土地を没収したり、銀行や鉄道を国有化したりと、社会主義政策を推進。当然それに対し反対する勢力が出てきて、ロシアは革命派と反革命派の内戦に突入します。(ロシア内戦)
ソ連共産党は反革命派の制圧を進めるとともに、一党支配体制を確立。ロシアを始め、共産党支配を浸透させたベラルーシ、ウクライナ、ザカフカス(アゼルバイジャン、アルメニア、グルジア)などを連合し、ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)を成立させた、というわけです。
ソ連の国旗
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