ローマ帝国におけるキリスト教迫害とはどんなものだった?

キリスト教が認められる以前のローマ帝国は、多神教国家であり皇帝崇拝の国家でした。

 

一神教であるキリスト教の教えはローマ帝国の政策に反するところもあり、そのことも原因でローマ帝国においてキリスト教は迫害されていました。

 

ここでは、その迫害について解説していきます。

 

 

ネロ皇帝による迫害

ローマ帝国のキリスト教徒への迫害というと、まずネロ皇帝が挙げられます。

 

そもそもイエス・キリストが十字架に架けられた理由も、ローマ帝国に対する反逆という理由でしたが、ネロ皇帝が64年に最初にキリスト教徒を迫害したという史実が残っています。

 

また、初代のローマ教皇であるペトロは、ネロ皇帝によって迫害を受け殉教しました。

 

一神教であるキリスト教は、ローマ帝国が推進する皇帝崇拝を拒み、しかもキリスト教信者が増えていくことは皇帝崇拝に一致しなく、迫害の理由とされています。

 

本格的な迫害の開始

ローマ帝国がキリスト教を本格的に迫害し始めたのは、3世紀半ば頃からとされています。

 

その頃から帝国内では社会的混乱が続くようになり、キリスト教は多くの人に受け入れられるようになり、次第に信者も増えていきました。

 

一神教であるキリスト教徒は皇帝崇拝を拒み続けるので、激しい弾圧が繰り返されるようになったのです。

 

303年ディオクレティアヌス皇帝も大きな迫害を行い、これが最後で最大の迫害とされています。

 

この時の迫害は、皇帝崇拝を強制させるだけでなく、信者の公開処刑や教会の財産・書物の没収や棄却といった、かなりの規模での迫害でした。

 

ディオクレティアヌス皇帝以降も、しばらく迫害は続いたのですが、収束に向かいました。