キリスト教が認められる以前のローマ帝国は、多神教国家であると共に、皇帝崇拝が支配的でした。一神教であるキリスト教はそのどちらも否定するものであったため、迫害の対象だったのです。イエス・キリストが十字架に架けられた理由も、ローマ帝国に対する反逆罪でした。
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暴君として悪名高いネロ帝は、キリスト教徒を迫害した皇帝の代表格です。初代ローマ教皇とされるペトロは、ネロ帝の迫害の中で殉教したと伝えられています。
ローマ帝国がキリスト教に対する迫害を本格化し始めたのは、軍人皇帝時代が始まる3世紀半ば頃からです。戦乱とそれにともなう不況が帝国を覆う中、救済を求めて多くの人々が入信すると共に、弾圧も激しくなっていったのです。
ジャン・レオン・ジェローム画『キリスト教殉教者の最後の祈り』(1863年)
303年にディオクレティアヌス帝が史上最も大きな迫害を行い、これが最後で最大の迫害とされています。彼による迫害は、皇帝崇拝を強制させるだけでなく、信者の公開処刑や教会の財産・書物の没収、棄却といった、度を越えたものでした。
ディオクレティアヌス皇帝以降も、しばらく迫害は続いたのですが、信者が下層階級のみならず、上流貴族や為政者にまで浸透するようになったので、いよいよその存在を無視できなくなり、公認(313年)、国教化(392年)へ向かっていくというわけです。
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