第一次世界大戦勃発当初、アメリカは経済交流がさかんで、かつ巨額の貸付もしていた英仏に負けられては困るということで「連合国(三国協商)寄り」ではありましたが、他国の紛争に介入しないという「モンロー主義」および国内産業の成長に集中するという理由で中立の立場をとっていました。
しかし戦争が長期化するにつれて、そんなことも言ってられなくなり、国際的にも参戦の圧力が強まっていきます。当時の大統領ウィルソンは国内世論との板挟みで苦しい立場に立たされました。
そんな中、参戦の決定打となったのはドイツUボートの無差別攻撃(無限潜水艦作戦)により、アメリカ客船が撃沈され、大勢のアメリカ人が犠牲になったルシタニア号事件(1915年)でした。これでアメリカ世論は一気に参戦に傾き、大統領ウィルソンは「世界の民主主義を守る」と宣言、1917年4月にはドイツに、12月にはオーストリアに宣戦布告を行ったのです。
ドイツ軍の攻撃を受け沈没するルシタニア号の様子
|
|
|
|