グレゴリウス7世の基本情報
生年:1020年頃
没年:1085年
出身:トスカーナ
死没地:サレルノ
本名:イルデブランド
政策:グレゴリウス改革/叙任権闘争
グレゴリウス7世(1020年頃 - 1085年)はローマ教皇で、教会改革と教皇権拡大につとめ、ハインリヒ4世との叙任権闘争を繰り広げた人物として有名です。本名イルデブランド。トスカーナ地方出身。
教皇就任後は中央集権化をはじめ、十字軍遠征による聖地エルサレムの奪還や教会改革(通称グレゴリウス改革)、東西教会の再統合にまい進しました。高位聖職者の任命権について神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世と激しく対立し、叙任権闘争が勃発。闘争はカノッサの屈辱により教皇の勝利で決着がつくも、のちに勢力を回復した皇帝の軍勢にローマを占領され、サレルノへの亡命を余儀されたのち、失意の中生涯を終えました。
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グレゴリウス7世は、カトリック教会の最盛期をもたらした、中世における最も偉大な教皇の1人とされています。聖職売買や聖職者の妻帯禁止など「グレゴリウス改革」と呼ばれる大教会改革を行い、教皇権を大幅に強化・その後の権威を確立させたのです。
聖職者の叙任権(任命権)をめぐりハインリヒ4世と対立、いわゆる叙任権闘争を繰り広げ、その末に起きた「カノッサの屈辱」事件(1077年)は、彼の治世で教皇権が最高潮に達したことを示していることは知っておきましょう。
グレゴリウス7世といえば神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世との叙任権闘争で有名な人物。闘争の末、一度は「カノッサの屈辱」で皇帝を屈服させたものの、その後反撃に合い、南イタリアのサレルノに逃亡、失意のまま死亡しています。彼の死が、アナーニ事件で知られるボニファティウス8世と同じく「憤死」と表現されるのはそのためで、どちらも教皇権の衰退を象徴づける出来事となりました。
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