アレクサンドロス大王の遺領争奪戦ディアドコイ戦争において、ディアドコイを名乗る7人ほどの有力者が争いましたが、最終的に勝ち残った3人によりアンティゴノス朝マケドニア、セレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプトが成立しています。
さらにこの中で「勝者は誰か」と聞かれれば、中でも最も多くの領土を獲得したセレウコス朝シリアであるといえるでしょう。
当初ディアドコイ最強といわれたのはアンティゴノス朝マケドニアでしたが、セレウコスはプトレマイオス朝エジプトと組むことでこれに対抗。
そして前301年のイプソスの戦いでアンティゴノスを破り(同時にアレクサンドロス大王が築いた世界帝国の分裂が決定的になり)、シリア、バビロニア、アナトリア、イラン高原、バクトリアという、ヘレニズム三国で最も広大な領土を支配することとなったのです。
ただしその後は王国内の内乱や離反により、弱体化していき、前63年にはローマに滅ぼされています。
セレウコス朝シリアの大まかな支配領域
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