ペロポネソス戦争中、アテネに蔓延した疫病とは?

ペロポネソス戦争中アテナイに蔓延した疫病とは何だったのですか?

ペロポネソス戦争はそもそも途中からスパルタ率いるペロポネソス同盟側に戦局が傾き、アテナイは劣勢に絶たされている状態でしたが、それにさらなる追い打ちをかけたのが、アテナイ市内における疫病の蔓延です。

 

前430年頃から流行が始まり、前429年までに人口の3分の1が失われています。戦時下で人々が都市内に密集して暮らしていたこと、当時の衛星観念の低さも、蔓延に拍車をかけました。

 

疫病により指導者ペリクレスも死没し、統率を失ったアテナイは完全に劣勢に立たされますが、主戦論者の台頭で無駄に戦いが長引き、膨大な犠牲を払った末に前404年ようやく降伏するに至ったのです。

 

疫病の正体

疫病が蔓延した当初、スパルタ人が井戸に毒を投げ込んだという噂が広まりましたが、疫病の正体は毒などではなく、ペストもしくは天然痘と考えられています。

 

『古代都市のペスト』(ミキール・スワーツ画)