不凍港とは、高緯度の海域であっても、暖流や荒波などの影響で、1年を通じて海面が凍らない港湾のことです。砕氷船を使わなくても船舶の運行が可能なため、経済的にも軍事的にも重要視されています。
高緯度に位置するロシア帝国の領海は、冬になると凍結する海域が多い為、成立以来、国の発展の為に「不凍港の獲得」は何よりの悲願だったのです。そんな中ロシアが、南部の温かい海域(黒海など)の支配権を得るために、17世紀末から推進した、南への領土拡大政策を南下政策というのです。
ロシア帝国の南下政策は、1696年、ピョートル1世のアゾフ攻略を皮切りに開始され、黒海方面、バルカン半島方面への進出を視野に入れていました。
18世紀後半にはオスマン帝国との戦いを制し黒海に進出、さらに露土戦争 (1828年〜1829年) でドナウ川沿岸と黒海沿岸を獲得しました。
ロシアの南下政策の障壁といば、黒海に勢力を持つオスマン帝国でしたが、ロシアの領土拡大を脅威とみた英仏など列強諸国がオスマン帝国を支援するようになります。
その結果クリミア戦争(1853〜56年)で敗北を喫し、南下政策は中断されることとなりました。
しかしバルカン半島方面への南下政策は、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれるほどこの地域の軍事的緊張を高め、第一次世界大戦の一因となりました。
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