二月革命が起こる前の七月王政下のフランスでは、ひたすらブルジョワ優遇の政治が続いており、全人口の1%にも満たない、200フラン以上の納税者でなければ選挙権を持てませんでした。そんな情勢下で、産業革命以来増加した中小資本家の選挙権拡大要求が高まり、社会構造の変質で不遇を強いられる貧困層も政府への不満を募らせていきました。
45年から47年の凶作に伴う経済危機で、社会不安はピークに達し、人々は宴会の名目で集まり(当時政治集会は禁止されていたため)、普通選挙を要求する改革運動を盛り上げていました(改革宴会)。
しかし政府はその改革宴会すら弾圧しようとした為、怒った民衆は48年2月に蜂起を決行し、ギゾー内閣および、ルイ=フィリップの七月王政を打倒してしまうのです。
労働者の生存を保障する議員達により臨時共和政府がつくられ、第二共和制が開始されたのです。臨時政府の選挙改革によって、それまで25万人程度だった有権者が900万人に拡大しました。
フランス二月革命
この社会の根底を覆した一連の変革が二月革命であり、この出来事は瞬く間にヨーロッパ各地の民族主義者・自由主義者の耳に入り、いわゆる1848年革命を誘発、ウィーン体制の崩壊に繋がっていくのです。
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